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敬語が存在していることの意義

- 潜在的に擦り込まれているものに気付く大切さ -

2025年6月10日'ひと'とITのコラム

ひととITのコラム 敬語が存在していることの意義 -潜在的に擦り込まれているものに気付く大切さ-


 今年もすでに6月・・・ 数年前からコロナ禍、春と秋がどこかに行ってしまった気候変動、なかなか終わらないウクライナやパレスチナの戦争、トランプさんのびっくり箱、一躍脚光を浴びることになった米問題 等々、さまざまなことが起こり続けるので感覚的時間軸が乱れ、時の進みが速いのか遅いのかまったくわからなくなっています。いま人間は、予測できない変化に対処出来る生き物なのかを試されているのかもしれません・・・


「ありがとう」と「ありがとうございます」の差

 4月12日に大阪・関西万博の開会式が行われました。そこで行われた大阪府の吉村洋文知事の挨拶にネット上で気になるコメントが寄せられていました。吉村氏の挨拶は、「府民を代表してすべてのみなさまに心から歓迎の意を表します。万博史上初となる海上万博での開催実現を目指し、この間、全力で準備してきました。この地において158の国と地域のみなさんとともに、未来社会の羅針盤を築いていきたい」との切り出しから、「まずは夏の暑い日も、冬の寒い日も現場で頑張ってくださった工事関係者のみなさん、ありがとう」、「万博ボランティア、アテンダントに手を挙げてくれた多くのみなさん」「民間パビリオン、協賛企業、イベントに参加してくれるみなさん」「今回の万博に参加してくれる158の国と地域のみなさん」「大阪市民、府民、関西のみなさん」「すべての国民のみなさん」に、「ありがとう」の言葉を繰り返し、最後に「明日、開幕です。ありがとう」で締めくくりました。

 この挨拶(抜粋)でみなさんは気になった・引っ掛かったことはありましたか? ネット上ではいろいろな形で頑張ってもらった(もらっている)人たちに感謝をしていて、「各関係者への感謝を全面に出していて素晴らしかったです」と特に引っ掛からずに評価するコメントも多く寄せられていました。一方で違和を感じるというコメントも寄せられていました。何に違和を感じたのか? コメント曰く、「ありがとうございます」ではなく「ありがとう」だったことについて、「上から目線の『ありがとう』ではなく、『ありがとうございます』と思います」、「ありがとうじゃなくてありがとう"ございました"だろ?」、「吉村知事の挨拶『ありがとうございます』じゃなくて『ありがとう』なのが凄く気になる」・・・。このネットでの騒ぎを見て「大阪万博の吉村知事の、ありがとうが気になるって人多いけど。外国人にもわかるように、ありがとARIGATOを使ったのかな」、「関係者に『ありがとう!ありがとう!』と何度も言ってるところにも感動。社交辞令的にではなく、心から『ありがとう』と感謝してるのが伝わってきた」、「最初ちょっと『ん?』って思ったけどあえて『ありがとう』で良かったと思う 『ARIGATO』は世界共通語!」と言った書き込みも見られました。

 このコメントの中でおもしろいのは、社交辞令的な『ありがとうございました』よりも『ありがとう』の方が心から感謝してるのが伝わるとのコメントです。確かに日常生活でも会社生活でも、『ありがとう』の方が気持ちを感じやすく、『ありがとうございました』は「形だけ」整えた"慇懃無礼"に感じる場面は多いように思います。もし言葉の使い方(表現)で伝わり方が違うのであれば、自分の気持ちをしっかり伝える表現を選ぶべきなのですが、目上の人に素直な気持ちで『ありがとう』の表現を使うと、今回の吉村知事の挨拶での騒ぎのごとく、静かに事が済みそうもありません。なんと面倒臭いことか・・・


敬語とは

 では、この面倒臭さの根底にあるのは何でしょう? それは敬語の存在です。

 敬語とはそもそも何でしょうか? 広辞苑(第7版)では、『話し手(または書き手)と聞き手(または読み手)と表現対象(話題の人自身またはその人に関する物・行為など)との間の地位・勢力・尊卑・親疎などの関係について、話し手(または書き手)が持っている判断を特に示す言語表現。普通、尊敬語・謙譲語・丁寧語に分け、また丁重語・美化語を設ける。待遇表現。』とあります。さらに調べると、平成17年3月30日に文部科学大臣から諮問を受けた文化審議会が、平成19年2月2日に『敬語の指針(https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkashingikai/sokai/sokai_6/pdf/keigo_tousin.pdf)』を答申しています。この答申で、従来尊敬語(相手を高める)、謙譲語(自分をへりくだる)、丁寧語(です・ます)とされていた敬語を、尊敬語、謙譲語I、謙譲語II(丁重語)、丁寧語、美化語に分類しています。

敬語の指針による「敬語の形」(抜粋)

 ここでは詳細は割愛しますが、一般的には尊敬語と謙譲語を敬語と認識している人がほとんどだと思います。

 では、日本語以外の言語に敬語は存在しているのでしょうか? この答えは敬語をどのように捉えるかで変わってきますし、さまざまな観点からの専門家の発信もあるので一概には言い難いのですが、尊敬語や丁寧語は、濃淡はありますが多くの言語で存在していると考えて良さそうです。しかし、敬語の種類の多さ・使い方の細分化・高い普及度合い・緻密な体系化度合い(さきほどの『敬語の指針』は77ページもあります)などは日本語の大きな特徴の一つと言えそうです。

 さて、言語は使う人々の価値観や感性、さらにはその社会、文化などと表裏一体を成すものです。一時話題となった日本独自の「ものを大事にする文化」が、「もったいない」という日本語でしか表現できないことで、万国共通の「MOTTAINAI」となりました。このとき、「MOTTAINAI」という単語だけが共有されたのではなく、ものを大事にする文化や考え方も共有されたことはその顕著な例でしょう。



日本で敬語が存在している意味

 それではなぜ日本語は、緻密な敬語が存在しているのでしょうか? ともすれば「明確な身分制度(社会的地位)の存在」が背景にあるとも見えますが、私は逆に「日本では他国と比べ絶対的な身分制度が存在していなかった」ことが関係しているのではないかと思えます。この考えに至った大きな要因は自分をへりくだる表現の謙譲語です。

 さきほど他の言語でも尊敬語や丁寧語は存在すると書きました。しかし、謙譲語は日本語以外ではあまり見かけません。例えば欧州では昔から貴族制が存在してきています。すなわち明確な身分制度(社会的地位)により、自分をへりくだる必要はありません。へりくだる以前に身分が下であることが明確だからです。極端な話、身分の低い人が身分の高い人にタメ口で話しても立場が明確なので、失礼に当たることはないでしょう(尊敬や丁寧さは必要ですから、この範囲の敬語は存在していることになります)。しかし日本(近代日本)はどうでしょう。明治維新後日本でも貴族制度は存在しましたが、100年を待たずに制度としては消滅しています。江戸時代の長きにわたって士農工商の身分制度があったとも言われていましたが、最近の歴史評価では士農工商という制度という言葉が使われたのは明治初期で、維新政府が「平等な民主的社会」のイメージを強調するために江戸時代を士農工商の身分格差社会だった喧伝したとも言われています。ちなみに江戸時代の農民は結構豊かな生活を送っていたことがわかってきています。年貢米の取り立てで食うにも困っていた農村の姿は、時代劇によって植え付けられたイメージのようです(この辺りのことは本コラムの『第54回 ITリテラシーと日本人気質 其の二 -「善悪」と「損得」-』でもう少し詳しく触れています)。

 少なくとも近代日本は、明確な身分制度(社会的地位)が存在しない「平等な社会」だったと言えます。しかし、実際に社会が機能するためには社会的地位というものが多かれ少なかれ必要となります。その地位関係を明確にするための重要な要素として自分をへりくださせることが必要であり、それを明示的に示すために謙譲語が有効な手立てとして発達してきたように見えます。ただ、社会が機能するための社会的地位を曲解してしまうと、カスハラのような事象につながってしまうのは、謙譲語が潜在的に持つ影響力の強さを物語っているのかもしれません。


雇用形態の変革と敬語

 さて、話は変わりますが、最近の雇用形態は従来の日本独自の「メンバーシップ型雇用」から「ジョブ型雇用」への転換が拡がってきています。「ジョブ型雇用」は一人ひとりの職務を「ジョブディスクリプション(職務記述書)」で職務内容、責任範囲、権限、役割、期待される成果などを定義し、その定義に基づき一人ひとりが柔軟に能力を発揮してもらうことを前提としています。「メンバーシップ型雇用」が代々受け継がれている業務プロセスを熟すことを前提として、社員がプロセスでつながっていくのに対し、「ジョブ型雇用」では社員各自が創出する価値が紡がれていくイメージです。一人ひとりがプロフェッショナルとして対等な地位関係となります。

 ビジネス環境が、「既知の解に解答」することを求められていた時代は、「メンバーシップ型雇用」は大きな効果を発揮できていましたが、冒頭にも触れたとように今は「未知の解を解決」しなければならない時代です。あらかじめ仕事のやり方を決められるのはごく僅かです。社員各自が柔軟に従来にない価値を産み出さなければ「解決」という期待に応えることは難しくなっています。では、長年「メンバーシップ型雇用」にどっぷり浸かってきた日本で、「ジョブ型雇用」への転換は進んでいるのでしょうか? いまが真に転換できるかどうかの分水嶺ではないかと思っています。

 前回のコラム(第63回)で『企業経営が終身雇用を前提として組み立てられていたことと、終身雇用を「良し(当然)」とした社会通念があったことが大きく影響しています。つまり終身雇用という"事象"だけで評価するのではなく、企業経営・社会通念も包含してひとつの"システム"として捉えて評価することが重要なんだと思います。』と書きました。「メンバーシップ型雇用」=終身雇用ではありませんが、適していたことは確かです。所謂「熟練者」の存在が重要でしたから、「熟練者」→「長年の経験」→「(相対的に)年輩」→「年功序列」という関係性が成立していました。ところが2000年頃にこの関係性に亀裂が入りました。「若手登用」です。年功序列が"神話"ではなくなった瞬間です。年下の上司(年上の部下)という従来にはなかった関係性が生まれました。このときに当事者の多くが悩んだのが「言葉使い」でした。「年下でも上司ならば敬語が必要?」、「年上でも部下なのだからタメ口でも良い?」、「年上の部下に君付けで呼んで良いのか?」・・・。

 さきほど日本語以外の敬語の存在について触れましたが、韓国語は尊敬語、丁寧語が明確な基準で使われています。例えば会社で自分の父親の行動を説明するとしたら、日本語では「父が映画を観た」となりますが、韓国語では「お父様が映画をご覧になっていた」となります。すなわち韓国語での敬語の使用基準は年輩かどうかが大きな要因となります。これは儒教の影響のようです。日本も儒教の影響はやはり存在していますが、儒教の影響よりも優先する基準が存在しているのが異なる点でしょう。とは言っても年上の人と話すときには自ずと敬語を使います。言葉は話し手・聞き手の感性に根付いていますから、年功序列と日本語(特に敬語)は相性が良かったとも言えます。それが「若手登用」で話し手・聞き手の(潜在的な)感性と異なることが起きたので、どうしても戦々恐々としながら対応せざるを得なかったのでしょう。



本質を見ることの大切さ

 いま起きている雇用制度の変革は、会社や組織の中での人財間の地位関係の変革です。従って、日本人が持つ感性や文化、価値観などと"密着している敬語"も変革の時を迎えているのかもしれません。最初の方で触れた吉村知事の挨拶に関して「ありがとうございます」よりも「ありがとう」の方が気持ちが伝わるのであれば、ビジネスの現場でも"タメ口"を適切に使える環境が大きな効果をもたらすのかもしれません。最近は「今の若者は敬語が使えない!」など日本語の乱れに眉をひそめる人も多くなりました。一方で "タメ口"が芸風として、(広く受け入れられているかは別ですが)認知されてきているのも確かです。さまざまな地位関係の変革が必要なのであれば、この日本語の乱れが地位関係変革の本質を変えたということで、後々有意義だったと評価されるときが来るのかもしれません。さまざまな制度などを変革しなければならないときには、その制度が定着している本質を見極め、その本質と向き合いながら変革を進めることも大切なんだと思います。


おまけ

 サーロインステーキの「サーロイン」。この言葉の由来をご存じですか? サーロインは英語 で「sirloin」ですが、「sir-loin」と分解できます。「loin(ロイン)」は腰肉のことですが、「sir(サー)」はイギリスの国王がこの部位(腰肉の上の方)のステーキを食べたところ、あまりに美味しかったので「sir(サー)」という貴族の称号を与えたという説もあります。これは英語でも敬語が存在する端的な例として紹介されています。ただし、「sir(サー)」は「上部」を意味するフランス語の「sur」から来たという説もありますのでご注意を!





〔本コラムは偶数月の10日頃更新しています。〕




執筆者プロフィール

執筆者 永倉正洋氏

永倉 正洋 氏

技術士(電気・電子部門)
永倉正洋 技術士事務所 代表
一般社団法人 人材育成と教育サービス協議会(JAMOTE)理事
Mail:masahiro.nagakura@naga-pe.com


1980年 日立製作所入社。 システム事業部(当時)で電力情報、通信監視、鉄道、地域活性化などのシステムエンジニアリングに取り組む。
2003年 情報・通信グループ アウトソーシング事業部情報ユーティリティセンタ(当時)センタ長として、情報ユーティリティ型ビジネスモデル立案などを推進。
2004年 uVALUE推進室(当時)室長として、情報・通信グループ事業コンセプトuVALUEを推進。
2006年 uVALUE・コミュニケーション本部(当時)本部長としてuVALUEの推進と広報/宣伝などを軸とした統合コミュニケーション戦略の立案と推進に従事。
2009年 日立インフォメーションアカデミー(当時)に移り、主幹兼研究開発センタ長としてIT人財育成に関する業務に従事。
2010年 企画本部長兼研究開発センタ長として、人財育成事業運営の企画に従事。
2011年 主幹コーディネータとしてIT人財に求められる意識・スキル・コンピテンシーの変化を踏まえた「人財育成のための立体的施策」立案と、 組織・事業ビジョンの浸透、意識や意欲の醸成などの講演・研修の開発・実施に従事。
2020年 日立アカデミーを退社。
永倉正洋技術士事務所を設立し、情報通信技術に関する支援・伝承などに取り組む。日立アカデミーの研修講師などを通じて、特に意識醸成、意識改革、行動変容などの人財育成に関する立体的施策の立案と実践に力点を置いて推進中。

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