-実空間に降ろす バーチャル空間の"錨"は必要無いのだろうか?-
2026年10月9日‘ひと’とITのコラム

『暑さ寒さも彼岸まで』・・・よく使い、よく耳にする慣用句です。しかし2つの理由でこのフレーズが消え行きそうです。ひとつは春と秋の存在感が薄くなっていきていることです。四季から二季への地球規模での変化ですね。有名なビバルディの四季、「昔は季節が4つあった時代があった」ということをいちいち説明する必要に迫られそうです。いま見えてきているのは「一年の1/3が冬で、残り2/3は夏」という二季・・・この慣用句・・・『暑さは彼岸過ぎ、寒さは彼岸前まで』に変わるか、慣用句自体意味が無くなりそうです。
もうひとつが、そもそも「お彼岸」という言葉を知らない世代が増えそうだということです。お彼岸というと、今はまだ辛うじてお墓参りとセットの印象がある言葉です。しかし、「お墓参りに行く習慣がない」という人は、20代~40代が概ね半数前後という調査データがあります(https://news.mynavi.jp/article/20230713-2725927/)。さらに「墓じまい」も珍しいことではなくなりました。つまり日本では確実にお墓参りの文化が薄れてきていますし、この先お墓がある家の方がめずらしい時代が来るのかもしれません。これはお盆やお彼岸が、「お墓参りを主体とした供養や故人への報恩感謝の気持ちで迎える日」から、「夏休みや春分の日、秋分の日(+シルバーウイーク)という休みの日」に塗り替えられていくことを示唆しています。現在の社会ではお墓参りが廃れると「お彼岸」という言葉を使う機会は激減しますから、知らない人が増えていくのも当然でしょう。「『暑さ寒さも彼岸まで』ってテレビで言っていたけれど、彼岸って何?!」・・・風習の変化は言葉の盛衰に直接関係するということですね。
ところで、何故 お彼岸にお墓参りをするのかご存じでしたか? 何となく "仏教行事"と思っていませんか? 私は思っていました・・・が、実は違うみたいです。そもそもインドや中国ではお彼岸=お墓参りという習慣はないそうです。ただし、「彼岸」という言葉そのものは仏教からの言葉です。曰く、われわれが存在する『迷いや執着などの苦悩に満ちた世界』を『此岸(しがん) 』、仏様がおられる『悟りの世界』を『彼岸(ひがん) 』と言います。仏教は『此岸を離れ、彼岸へ渡る』ことを目指した宗教ともいえます。仏教が日本に伝来する以前から、古代日本人は「春分や秋分の日は、昼と夜の長さがちょうど半分になり、太陽が真東から昇って真西に沈む特別な日」なので、「この世とあの世の境目が一番薄くなって、ご先祖様にもっとも近づけるのではないか」と考えていたようです。そこに仏教が入ってきて、「此岸」と「彼岸」を昼夜に重ね合わせ、「彼岸におられる仏様、ご先祖様と距離が最も近くなる春分・秋分の日にお墓参りすることは、もっとご先祖様に近づけるのではないか」ということで、古代からの日本人の風習と仏教を融合させたようです。鎌倉時代以降の大乗仏教の布教などによりこれが日本各地で広まり、お彼岸にお寺でお墓参りをする習慣が定着していきます。日本古来の習慣が仏教という枠組みを借りて時代を超えてきたのですね。
現在春分の日・秋分の日は共に『国民の祝日に関する法律(昭和23年法律第178号)で定められた祝日です。元々は旧憲法時代の「祭日」だった「春季皇霊祭(しゅんきこうれいさい)」が春分の日に、秋季皇霊祭(しゅうきこうれいさい)が秋分の日に衣替えしています。興味本位でこの法律の趣意(国民の祝日の趣意)を改めて確認してみると、『第1条 自由と平和を求めてやまない日本国民は、美しい風習を育てつつ、よりよき社会、より豊かな生活を築きあげるために、ここに国民こぞって祝い、感謝し、又は記念する日を定め、これを「国民の祝日」と名づける。』とありました。本来はこの趣意を噛みしめて祝日を過ごすことが、日本人にとっては大切なんでしょうが・・・
さて、今年の「秋のお彼岸」は、9月20日が「彼岸入り」、9月23日が「中日(秋分の日=祝日)」、9月26日が「彼岸明け」でした。ご存じのように「春分の日」「秋分の日」は年によって日にちが動きます。法律的にはその日にちをどのように規定しているのでしょうか? 春分の日は「春分日」、秋分の日は「秋分日」を採用するとされています。ちょっと紛らわしいですが、「春分日」「秋分日」というのは天文学上の呼び名で次のように定義されています。太陽の通り道である「黄道」と、地球の赤道を天頂に延長したものを「天の赤道」、黄道と天の赤道は、お互いが傾いているために2点で交わり、その一方を「春分点」、もう一方を「秋分点」と呼びます。
そして、太陽が春分点・秋分点の上を通過する瞬間がそれぞれ「春分」「秋分」と定義され、「春分」「秋分」を含む日のことをそれぞれ「春分日」「秋分日」と呼びます。
天体の動きは一様ではないので日本では国立天文台が観測して決めています。これら天文学上の「春分日」「秋分日」が「国民の祝日」のひとつとして定まるのは、前年の2月1日(休日の場合は翌日以降)に春分の日・秋分の日の日付が書かれた「暦要項(れきようこう)」が官報に掲載されることで正式な休日として決まります。つまり、国民の祝日の2つは国立天文台が決めているということです。さらにお彼岸という実に「アナログチック」な行事の日程を、国立天文台という「アカデミック」な組織が決めているというのも、詰まるところ「われわれが天体の動きから逃れられないことの証」のひとつであるとも思えます。
右の表は、2020年~2030年の春分日・秋分日です。2026年までは実績で、2027年は今年の2月2日(今年は2月1日は日曜日でした)に正式に祝日となったものです。2028年以降はあくまでも天文学上の「春分日」「秋分日」の予想日です。
さて、お彼岸にまつわる話をぐだぐだ書き連ねましたが、私は今回のコラムを書きながら「古代日本人の凄さ」をひしひしと感じています。先述の「昼と夜の長さが同じになるこの時期は、この世とあの世の境目が一番薄くなって、ご先祖様にもっとも近づけるのではないか」・・・便利極まりない現代とは異なる環境で、「昼と夜の長さがちょうど半分になり、太陽が真東から昇って真西に沈む日がある」ということを把握していたということです。時計が無い中で昼と夜の時間が同じってどうやって分かる(理解する)のでしょうか? 余程興味関心を持ち、注意深く日常を過ごさなければ気付くことは難しいでしょう。ニュートンのリンゴが木から落ちるのを見て万有引力を発見した話でいつも感じるのは、ニュートンが気付く前、あまたの人々もリンゴが木から落ちるのを見てきたはずです。リンゴでなくても柿や栗、単なる小枝、枯れ葉、棚の上の置物、私の化学の成績(?) 等々・・・落ちるものはたくさんあります。だけどもニュートンしか気付かない・・・あまたの人にとっては当たり前の事象であり、当たり前のことは"気付く対象"では無いと言うことなのでしょう。昼と夜の長さの変移は、リンゴが木から落ちるシーンよりももっと"当たり前"で、"日常(過ぎること)"です。さらに気付いた後も今で言う「天文学的な取組み」を誰かが行ったから、社会の中で認識が拡がり、政などで活用され、社会形成や文明の進化などに欠かせないものになったと推測できます。すごいです! 古代の人々にとって天文学は非常に重要な"科学"だったのでしょう。このことは、古代の世界で文明間のつながりがなかったにもかかわらず、世界各地でこの"科学"が生まれ、進化し、文明形成と密接に関係付いていたことからも容易に想像できます。その遺構の多くは世界遺産として、われわれ人類の共通的財産として認識されています。いくつかを紹介しますが、有名処(=人類がしっかり受け継いでいる証)なのでご存じの方も多いことでしょう。
メキシコの「チチェン・イツァ」はマヤ文明の遺跡で、「カスティーヨ」と呼ばれるマヤの最高神であるククルカンを祀ったピラミッドがあります。この「カスティーヨ」は、春分の日と秋分の日の日没時に、西から夕陽に照らされ階段の西側にククルカンの胴体の影が現れるように造られています。
同じくメキシコの「テオティワカン」は、紀元前2世紀から6世紀かけて栄えたテオティワカン文明の遺跡です。非常に巨大な遺跡にある「太陽のピラミッド」は、夏至の日に太陽がピラミッドの真正面に沈むように造られています。
エジプトの「ヌビア遺跡」のひとつである「アブ・シンベル神殿」は、紀元前1250年ごろにラメセス2世によって造られました。大神殿と小神殿からなっていて、大神殿は太陽神ラーを、小神殿はハトホル女神を祀っています。入り口には4体の像がありますが、春分の日と秋分の日の明け方から、順番に太陽光が照らしていくように造られています。
アイルランドの「ボイン渓谷」は、紀元前8500年ごろから始まった新石器時代以降に造られた遺跡群ですが、このなかに紀元前3000年ごろに造られた「ニューグレンジ」というなだらかな山のように土が盛られたお墓があります。冬至の明け方に十数分間という短い時間だけ、太陽の光が内部の部屋に差し込むことで、冬至の日であることが分かるように造られています。
インカ帝国の遺跡で「空中都市」とも呼ばれているペルーの「マチュ・ピチュ」は、何のために造られたのか長年謎でしたが、太陽の動きを観測するための建造物群であったという説が、最新の研究で浮上してきています。実際、夏至と冬至が区別できるような仕組みがあったり、日時計と考えられる柱があります。
多くの古代文明で、特に春分、秋分、夏至、(冬至)を個々に把握していたことになります。しかも太陽を始めとする天文観測の重要性が共通しています。確かに古代社会で民衆の敬意を得るためには、身近で当たり前と思っていた太陽と自分たちの関係で、"奇跡"として驚かせられることがあればあるほど、安泰な社会を築き・継続させることに貢献したことでしょう。自然現象から学び社会の役に立つように"変換"する・・・ まさしく"古代科学(私の造語)"です。さらに発想を飛ばすと、太陽の動きを当時のやり方でデータ化していたことは疑う余地はありません。すなわち、"古代科学"の成果を、実社会(フィジカル社会)で享受するための仕掛けが、すでに備わっていたということです。電子的なコンピュータが存在しないだけで、現代のCPS(Cyber-Physical System)やデジタルツインと同じ根本的概念を使って、脳のコンピュータを駆使しながら文明の進化の流れを確実なものとしていた・・・何度も書きますが、古代人はすごいです!
われわれ現代人は、その子孫であること、その脳のコンピュータの継承者であることをもう少し意識し、誇りに思い、各人のやり方で継承していくことが必要なのではないでしょうか? 人類の更なる進化に貢献するためには、生成AIに頼り過ぎるという道筋はありません!
唐突ですが、いつものように話を変えます。
「うるう秒」・・・ 1月1日か7月1日の午前8時59分59秒のあとに59分60秒を入れるというやつですね。1972年に制定されたから今まで27回実施されていて、直近は2017年、2015年、2012年に行われています。しかし、デジタル社会の時代、この1秒を追加することで引き起こされるトラブルリスクが年々高まってきました。さらに今までは1日の長さが100年でおおよそ1/1,000秒のペースで長くなっていたのですが、この地球の自転が何故か今度は速まってきてしまい、1秒を引くというるう秒の可能性も出てきていました(ちなみに"うるう"とは、平年よりも日数や月数が多いことを示す言葉なので、引くということもうるう秒というのは、言葉の意味からは矛盾が生じます)。1秒足すだけでも大変だったものが、今度は引く場合もある・・・パニックですね。対応のためのさまざまなコストがペイしない事態が想定されてきました。このため、本コラム公開直後の2026年10月13~15日にフランスで開かれる国際度量衡総会で「うるう秒」の廃止が正式に決まる運びです。
そもそもなぜうるう秒が必要となったのか? 本来「時間」は地球の自転を基に決められています。しかし自転の時間が変化すれば、1秒間の長さも当然変化してしまうことになります。そこで1967年の国際度量衡総会で、時間は原子時計で決めることになりました。原子時計は愚直なまでに正確に時を刻む"定価"です。しかし地球の自転はさまざまな要因で変化してしまう"時価"です。当然ズレが生じます。この"定価"と"時価"のズレを直す目的で作られた仕組みがうるう秒です。整理してみると、
地球の自転に頼っていては1秒がフラつくので、困ることが増えてきたよね
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ならばめっちゃ正確な原子時計が発明されたから、それを使って1秒を決めちゃおう
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でも時間は地球の自転や太陽の動きとズレてしまっては色々不便だよね
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ならば1秒近くズレたら、うるう秒という仕組みで直す仕掛けで運用しよう
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時間に依存する装置が社会で溢れてきたので、うるう秒は社会的リスクとして無視できないぞ
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ならばうるう秒はやめちゃおう
となります。では、このズレはこの先どう対処するのでしょうか? ズレの許容幅を1秒から広げるというある意味"安直"な結論となりそうです。ではどれくらいまでズレを許容するか・・・ここが揉めたようで、当初はズレを100秒まで許容する案などが出ましたが、合意は得られませんでした。その後、いっそのこと3,600秒(1時間)まで許容する「うるう時」が提案されると、各国の理解が急激に進みました。時計の針を1時間ずらすことは、サマータイム導入などにより多くの国・地域で経験しているので、システム変更などのノウハウもあり、気分的にも馴染みがあったことが影響したのかもしれません。
さて、最初に触れた"古代科学"の話の観点からうるう時の採用について考えてみます。
今回の話でズレと言っているのは、地球の自転の時間と原子時計が刻む時間との差です。では、地球という惑星に住んでいる人類にとって、どちらが基軸なのでしょうか? 本来は地球の自転の時間です。以前のコラム(第67回 「時間」って何?)でも触れましたが、地球上のほとんどの生物が持つ「体内時計」の存在により人類も地球の自転や公転といった天文学の領域から逃れることは出来ません。これが実空間です。しかし、1967年に地球の自転とは別の軸(原子時計)を採用したところから、人類は実空間から原子時計が創造するバーチャル空間に基軸を移しました。それでも1972年にうるう秒を導入してから約半世紀は、実空間をバーチャル空間で出来るだけ"正しく再現する"ことは放棄しませんでした。「1秒以内」という目標を掲げてその実現に莫大な労力と金銭的コストと多大なるリスクヘッジといった取組を健気にも続けてきました。しかし今年、人類は約半世紀守り抜いた「ズレ1秒」を捨てて「ズレ3,600秒」を許容しようとしています。実空間から今までよりも3,600倍離れるということです。「地に足が着かなくなる」・・・これは地球という母なる大自然からの"離反"なのでしょうか? それともITをはじめとする技術を駆使することで創造されているバーチャル空間への健全な"進化"・"成長"なのでしょうか?
確実に言えることは、古代の各地の文明で、時の権力者は施政者が民衆に見せていたであろう太陽の動きなどによる"奇跡"は、「3,600秒」のズレの世界では成り立たないものです。民衆が集まっているのになかなか「ククルカンの胴体の影が出現しない」となれば・・・困ります。「ニューグレンジ」で、最も昼が短い日(冬至)に民衆を集めたのに、奥の部屋に陽の光がいつまでも差し込まなければ・・・困ります。
今、古代人・古代社会よりもバーチャル空間にどっぷりと浸かってしまっている現代の姿が見えてきています。この"善し悪し"をここで論じることは無意味ですが、確実に現代社会は地球と遊離している地に足が着いていない空間に突き進んでいます。「時間」という対象だけではなく、CPSやデジタルツイン、さらには生成AIの台頭で情報空間までもが地に足が着かなくなってきています。「実空間での限界をサイバー空間で乗り越え、実空間だけでは創造できない価値をサイバー空間で創出する」・・・正しい道筋なんだと思いますが、地球をはじめとする「リアル(実空間)」にバーチャル空間の"錨"を降ろすことの大切さは、常に意識していかなければなりません。われわれの存在は「リアル」なのですから・・・
さて・・・ お彼岸のお墓参りとお盆のお墓参りは、同じお墓参りでも「意味合い(目的)」が少し違います。お盆のお墓参りは、「ご先祖様が家に帰ってくる」行事なので、なすやキュウリで作る精霊馬・精霊牛を準備すると同様に、ご先祖様が帰って来やすいようにお墓をきれいにして準備する、という意味合いのようです。お彼岸のお墓参りは、ご先祖様が帰ってくるのではなく、生きているわれわれがお墓へと会いに行き「報恩感謝」の意味合いが強いようです。また、此岸から彼岸に至るための修行のひとつとして、お墓参りをするという考え方もあるようです。お墓参りという所作には、きちんと意味があるのですね。ただ、自分的には「故人を偲ぶ」ためにお墓参りをする、だけで充分な気もします。
ちなみに法律的には、春分の日の意味合いは『自然をたたえ、生物をいつくしむ』、秋分の日の意味合いは『祖先をうやまい、なくなった人々をしのぶ』 なんだそうです。少なくとも来年は意識してみます(覚えていれば ですが・・・)。
〔本コラムの執筆に当たっては、"AI"は使っていませんが"ai(愛)"は使っています。〕
〔本コラムは偶数月の10日頃更新しています。〕

技術士(電気・電子部門)
永倉正洋 技術士事務所 代表
一般社団法人 人材育成と教育サービス協議会(JAMOTE)理事
1980年 日立製作所入社。 システム事業部(当時)で電力情報、通信監視、鉄道、地域活性化などのシステムエンジニアリングに取り組む。
2003年 情報・通信グループ アウトソーシング事業部情報ユーティリティセンタ(当時)センタ長として、情報ユーティリティ型ビジネスモデル立案などを推進。
2004年 uVALUE推進室(当時)室長として、情報・通信グループ事業コンセプトuVALUEを推進。
2006年 uVALUE・コミュニケーション本部(当時)本部長としてuVALUEの推進と広報/宣伝などを軸とした統合コミュニケーション戦略の立案と推進に従事。
2009年 日立インフォメーションアカデミー(当時)に移り、主幹兼研究開発センタ長としてIT人財育成に関する業務に従事。
2010年 企画本部長兼研究開発センタ長として、人財育成事業運営の企画に従事。
2011年 主幹コーディネータとしてIT人財に求められる意識・スキル・コンピテンシーの変化を踏まえた「人財育成のための立体的施策」立案と、 組織・事業ビジョンの浸透、意識や意欲の醸成などの講演・研修の開発・実施に従事。
2020年 日立アカデミーを退社。
永倉正洋技術士事務所を設立し、情報通信技術に関する支援・伝承などに取り組む。日立アカデミーの研修講師などを通じて、特に意識醸成、意識改革、行動変容などの人財育成に関する立体的施策の立案と実践に力点を置いて推進中。
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