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「時間」って何?

- “「IT活用」の仕組み”は“「時間」という仕組み”を破壊している !? -

2025年12月10日‘ひと’とITのコラム

ひととITのコラム 「時間」って何? -“「IT活用」の仕組み”は“「時間」という仕組み”を破壊している!?-


 12月です。また1年が過ぎ、あっと言う間に71回目の正月を迎えます・・・(--;)
毎年思うことですが、歳を重ねると子どもの頃に比べ時間の経つのがなんと速いことか・・・? でもこれって、私という一人の人間が同じ長さであるはずの1年を、子どもの頃と70歳で違って感じてしまっているわけで・・・何かおかしい・・・ 時間って何?

辞書が語る「時間」の正体

 さて、「時間とは何か?」と問われたら、みなさんはうまく説明出来そうですか? ローマ帝国のキリスト教の神学者で哲学者でもあったアウグスティヌスは、397年~400年に著書である「告白」の中で『いったい時間とは何でしょうか。誰も私に尋ねないとき、私は知っています。尋ねられて説明しようと思うと、知らないのです。』と記しています。「時間」ってわれわれはよく知っているはずなのに、もっとも説明が難しいもののひとつであることをまさに"告白"しています。

では、常套手段である辞書調べです(今のご時世は生成AI頼みが"普通"になってきていますが、このコラムは『"ひと"とIT』と銘打っているように、「"ひと"とIT(生成AI)とを分けて捉えたい」という基本的ポリシー(?)があるので、生成AIは使いません。悪しからず・・・)。

広辞苑第7版で「時間」を調べると、次のように辞書としては結構多くの文字数で説明しています。大辞林などの他の辞書でも傾向は同じです(このことは生成AIを使っちゃうと見えない"情報(事実)"です)。

時間:
① 時の流れの2点間(の長さ)。時の長さ。「―がある」「この仕事は―がかかる」「勤務―」「―割」
② 俗に、時刻 と同義。「帰りの―が遅い」
③ ①の単位。分(ふん)の60倍。秒の3600倍。→秒。
④ 空間と共に人間の認識の基礎を成すもの。 ①と時刻とを併せたような概念。
 (ア)〔哲〕一般に出来事の継起する秩序とされ、過去から未来への不可逆的方向をもち、前後に無限に続き、一切がそのうちに在ると考えられ、空間とともに世界の基本的枠組を形作る。宗教的には永遠から生じ永遠に帰するとされ、現世の時間は有限の仮象である。これをプラトンは永遠の動く影、アリストテレスは運動の帯びる性質とし、アウグスティヌスは時間の三様態、過去・現在・未来を意識の三様態、記憶・知覚・期待に還元した。近代になって時間は客観的規定と見られたが、カントは時間を空間と共に現象を構成する主観の直観形式と考えた。これに対し、弁証法的唯物論では物質の根本的な存在形式であるとする。ベルクソンは意識の直接的な流れとしての純粋持続を、ハイデガーは「現存在」の存在構造としての時間性を、時間の根源と見ている。→空間。
 (イ)〔理〕物理系の現象の経過を記述するため導入される量。物理学から見て最も基本的な性質は、時間の一様性、つまり物理法則は時間の原点のとり方によらないという性質である。この性質からエネルギー保存則が導かれる。

 敢えて全文を引用しましたが、恐らくこれを読まれている多くの方が①~③はしっかり読んだけれど④は2~3行目までで読む気が薄れたのではないでしょうか? 「時間」という代物が、日常生活だけではなく、哲学、物理学、心理学、生物学、自然科学、宇宙論、宗教など分野毎の切り口があり、時代によっても多くの考え方があるので、このテーマだけで分厚い本や論文が書けてしまいます。先ほどの広辞苑の説明、①~③は日常生活に密着している切り口なのでわかりやすいのですが、よくよく考えると「時間」の"活用"の説明であって「時間」そのものを説明しているのではないことにも気づきます。特に①は「時間」という漢字の使い方が「時の間」、すなわち「時刻と時刻の間」なので、ライフシーンすべてで実感(共感)出来ることから、「時間」とは何かが分かった気にもなりますが・・・本当に分かりましたか? 今、「時」をシラッと「時刻」と置き換えました。これで肌感覚では何ら引っ掛かることはないでしょう。しかし、「時」も広辞苑で調べてみると引っ掛かってしまいます。

時:
① 過去から現在へ、さらに未来へと連続して、とどまることなく過ぎゆく現象。月日の移りゆき。時間。光陰。普通平均太陽時を用い、秒・分・時・日・週・月・年などの単位に分けて計る。
「―の流れ」→時間。
② 一昼夜の区分。現今は真夜中(午前零時)から真昼(午後零時)までを午前、真昼から真夜中までを午後とし、そのおのおのを12等分(または午前・午後を通して24等分する。

(略)・・・これも結構文字数を多く使って説明しています。

 「時」を時刻として見ることは②の記述で根拠は得られそうですが、「時」を優先順位が高い①の記述で見ると・・・結局 何? 例えば13時から15時の間の2時間・・・この2時間の実体は何でしょうか? 今が12時だとすると、この2時間はすべて「未来」のことです。今が13時だとすると、この2時間は「13時という(一瞬の)現在+15時までの未来」、今が14時だとすると「13時から14時までの過去+14時という(一瞬の)現在+15時までの未来」、今が16時だとするとこの2時間はすべてが「過去」です。これだけでも「時間」とは何かがまったく捉えどころがありません。ちなみに、さきほど「時間のことは訊くな」的なことを"告白"していたアウグスティヌスは、『時間とは神によって作られたもので、世界に「過去」「現在」「未来」の3つの時間が存在するのではなく、「現在」のみが存在し、それは「過去についての現在」「現在についての現在」「未来についての現在」の3つの時間がある』と説明しています。「過去についての現在」とは"記憶"で、「現在についての現在」とは"直観"で、「未来についての現在」とは"期待"であるため、「時間」とはこのような"心の働き"であると考えていました。この解釈に従うと、先ほどの12時時点での13時から15時の2時間は「期待」、13時~15時の時点では「記憶」と「直観」と「期待」、15時を過ぎると「記憶」ということになります。

 結局「時間」の実体を考えるためには、広辞苑で読み飛ばしてしまう④に書かれている世界観を無視することが出来ないようです。自分で提起したこととはいえ・・・面倒クサッ!

 いくつかの有名な「語り」を紹介"だけ"します。

アイザック・ニュートンが語る「時間」の正体

 イギリスの自然哲学者・数学者・物理学者・天文学者・神学者のアイザック・ニュートンは、1687年に著書「自然哲学の数学的諸原理」で、『絶対的な真の数理的な時間とは、外部と一切かかわりなくおのずとその本質に基づいて一律に流れていくもの』という「絶対時間」を唱えました。これは、宇宙のどの場所においても一定の速度で進んでいくため、人間には知覚することができない共通の概念であるとニュートンは捉えました。

アルベルト・アインシュタインが語る「時間」の正体

 ドイツの理論物理学者であるアルベルト・アインシュタインは、1915年に「一般相対性理論」を発表しましたが、その理論では『時間の進み方は重力によっても変わり、重力源となる天体の質量が大きいほど、また重力源に近いほど時間はゆっくり進む』となります。これは重力によって時間の遅れが生じるという理論なので、先のニュートンが唱えた絶対時間の考えを否定したことになります(1905年に発表した「特殊相対性理論」で、すでに『立場によって時間の進みは異なる』ことを発表して絶対時間を否定しています)。この理論は実証されていて、次期「1秒原器」の候補である「光格子時計」を使って検証したところ、地上450メートルの東京スカイツリー展望台の方が地上よりも1日で10億分の4秒速く進むことが分かりました。すなわち、この展望台で80年間暮らすと地上で暮らすより0.1ミリ秒長い人生を送ることが出来ます。えっ!? もっと早く知っていれば0.1ミリ秒得したのに・・・残念! ちなみに、全地球測位システム(GPS)では、人工衛星が地上へ正確な時間を伝達することにより地球上の正確な位置を測定しています。人工衛星は地上から離れた所を周回しているので重力の影響を受けにくいので、地上よりも時間の経過が早くなります。このため衛星に搭載している内蔵時計は、毎秒100億分の4.45秒遅く進むようになっています。

道元が語る「時間」の正体

 鎌倉時代に曹洞宗を開いた道元は、1231年~1253年に著した「正法眼蔵」の中で、「有時(あるとき)」について触れています。「有(空間・存在)」と「時(時間)」は常にひとつで、私たちの人生は、常に「今・ここだけ」にあること、静止している植物も人と同じように、時間と空間を構成しているものだ、と考え、人生とは「今・ここだけ」の瞬間を、修行をしながら仏と一つになって、懸命に生きていくことだ、と説いています。すなわち、過去を思い出すのも未来を想像するのも全て今の自分という存在であるということで、今の自分に全ての時間が存在していると考えることと説いています。これは、先述のアウグスティヌスが『世界に「過去」「現在」「未来」の3つの時間が存在するのではなく、「現在」のみが存在し、それは「過去についての現在」「現在についての現在」「未来についての現在」の3つの時間がある』と説明したのとニュアンスが似ています。真理を突き詰める過程では、古今東西を問わず類似した考え方が出現するようでおもしろいです。

 ちなみに、道元が示したのは「時空」という考え方です。いま私が填まっているゲームの主人公は「時渡りの民」です。現代のSFやゲームで良く見られる「時空を超える」的な発想の原点は、もしかすると道元にあるのかもしれません。これもまたおもしろいです。

スティーブン・ホーキング博士が語る「時間」の正体

 イギリスの理論物理学者であるスティーブン・ホーキング博士は、宇宙の始まりについて「虚数時間」という概念を用いて説明しています。「虚数時間」とは2乗すると-1になる数で示される時間のことで、ホーキング博士は『宇宙はこの「虚数時間」から生まれた』と主張したのですが・・・すいません、ここまで来ると私の脳のコンピュータがオーバーヒートでダウンしてしまいました(-.-) もっと深掘って見たい方は生成AIに訊いてください。「やさしく教えて」と頼むことを忘れずに!

科学と哲学とちょっとだけのロマンの観点が必要な「時間」の正体

 いかがでしたか? 寝ちゃっていませんか? このような情報に触れてわかることは、まず人類の進化に連動するように、「時間とは何か?」の答えを脈々と追い求めている"世界"が存在しているということです。そして「時間とは何か?」の絶対的な正解を、未だ見つける事は出来ていないということです。しかし完全な正解がわからなくても「時間」は存在していて、私たちは日常生活で使い熟しています。すごいことです。

結局は、「時間」は科学(サイエンス)であり、哲学であり、(ちょっとだけ)ロマンですね。

日常生活との"際"で考える「時間」の正体

 では「時間」の話を日常生活に近づけます。1秒という"時間の長さ"の話です。

 1日の長さは地球の自転、1年は地球の公転の長さから決まっています。なぜか? 根底にあるのは、人を始めとするほとんどの生物が持つ「体内時計」の存在です。生物は地球の自転による24時間周期の昼夜変化に同調して、ほぼ1日の周期で体内環境を積極的に変化させる機能を持っています。ちなみに現在、人の「体内時計」の周期は平均で約24.2時間(約24時間12分)だとされていて、この周期は遺伝的な個人差があり前後20分は異なるといわれています。このように人の「体内時計」の周期は24時間よりも若干ずれているため、「体内時計」のタイミングを外界の(地球の自転の時間である)24時間周期に一致させるシステム(同調機構)があります。さらにこの同調機構によって、日照時間の季節変化という地球の公転にも「体内時計」を一致させることができます。

 このことは逆に「人は、地球の自転・公転の変化から逃れられない」ということになります。古代には時も分も秒もなく、ただ地球と太陽があるだけで、毎日「日が昇り 日が沈む」、毎年「暑くなり 寒くなる」、「干ばつになり 洪水になる」その繰り返しだったので、自分たちが生き延びるためには、その自然現象をさまざまに観察して体系化し、修正して1日の長さを決めて行く必要がありました。このような背景もあり、1日の長さ、1年の長さは自然現象から必然として決まったようです。

 では、1日の中をどのように区切るか? ここが問題となります。現代の感覚では1日を10等分もしくは20等分することに落ちつきそうですが、人類の進化の過程で最初に暦を作った古代バビロニアでは、12進法や60進法が使われていました。このため1日の長さを12×2=24時間に区切り、さらに1時間の長さを60進法で「分」に、さらに1分を60進法で「秒」に分けました。「1秒」という長さの誕生です。この話で気づいて欲しいことは、1日は午前0時から+1秒(0時0分01秒)+1秒(0時0分02秒)+(86,396回繰返し)+1秒(23時59分59秒)+1秒 のように「1秒1秒の積み重ね(86,400秒)」なのではなく、「1日を86,400に区切ったものが1秒」という考え方です。すなわち1日(1年も)は自然現象から導出された科学(サイエンス)ですが、1日の中の「時間」は人為的に決められたものなのです。もし古代バビロニアで10進法が使われていたら、1日は24時間ではなく10時間もしくは20時間となり、1時間は現状の2.4時間(=144分)か1.2時間(=72分)に相当したのかもしれません。ただし、その場合は1時間に対する感覚もまったく異なったものになっているとは思います。人は地球の自転、公転という自然現象と自分たちの(日常)行動をつなぐために「時間の長さ」を"発明"したと見ることも出来そうです。この「時間の長さ」という視点での「時間」は、「人同士が同期してシナジーを発揮する」という集団活動の価値を手に入れるための大きな「仕組み」として捉えても良いのかもしれません。

人との"際"で考える「時間」の正体

 人と「時間」の関係を心理学で読み解くこともさまざま試みられています。今回のコラム出だしの「歳を取ると子どもの頃に比べ時間の経つのがなぜ早いのか?」的なことです。「子どもは好奇心の塊だから」とかいろいろな説明が為されていますが、単純に考えると1年という時間の、その人の人生における重み・割合・価値の差に帰結する気がします。例えば7歳児にとって1年は自分の人生の「7分の1」。(私のような)70歳にとっての1年は人生の「70分の1」。その重みや価値、感じ方、新鮮味に10倍以上の差があるのは当たり前ですね。ただし人生100年と仮置きして残りの「時間」の視点に立つと、7歳児は93年ですが70歳では30年です。「時間」という"尺度"はその使い方で見える・感じる世界が変わります。この辺も心理学視点で興味深いところです。

 「メンタルテンポ」というものがあります。これは、「人によって 話の間合い、歩くスピードなどの動きの速さ(メンタルテンポ)には個人差がある」ということです。この「自分のペース」は、子どもの頃に定着し、一度定着するとそのペースは生涯続き、あまり変化しないようです。このメンタルテンポは遺伝と環境の両方で決まるようで、家族との共有環境や地域性などの影響を受けるとも言われています。メンタルテンポは、その人にとって心地よいペースです。このためこのペースからずれるとストレスを生み、場合によっては病気の原因になる可能性も指摘もされています。さらに、人と「時間」の関係で見ると、「朝型」、「夜型」そして「中間型」のような"タイプ"は、遺伝子レベルで決まっていることも最近の研究でわかってきています。これらは、従来ビジネスの世界でさまざまな行動に時間がかかったり、夜型で朝に調子が出なかったりすると、「やる気がないのではないか」、「サボっているのではないか」などのイメージを持たれがちでした。人によってはイメージを良くしようとして頑張ってしまい、自分のペースを無理矢理変えてしまうと却ってパフォーマンスを出せなくなる可能性を示唆しています。いま多くの場面で、「スキルワーク」だけでなく「ナレッジワーク」も必要とされてきています。「スキル」はさまざまな経験や技術の習得によって獲得することが多いのですが、「ナレッジ」はその時点での"思考"が本質となります。この"思考"を最適化するためには、「メンタルテンポ」の影響を無視することは出来ないでしょう。すると、「ナレッジワーク」の環境では、従来の「効率」を前提としたものではなく、個々人の「メンタルテンポ」との調和を前提として取り組むことが大切となります。ITの活用方法も「効率化」「利便性向上」一辺倒ではなく、そこに関わる全ての人の多様な「メンタルテンポ」のバランスを前提要件として考えることが求められます。

結局・・・「時間」って何もの?

 結局、人は「時間」の本質を理解はしていないけれど、地球の自転・公転という根底的な自然現象と自分たちをつなぐ仕組みとして「時間」を生み出し、その活用で人同士の「同期(つながり、ネットワーク)」を可能とすることで人類を進化させてきました。この時間(時刻)による「同期」、みんな6時には起きて、7時には朝食を摂って、8時半には会社(学校)について、12時には昼食、17時には会社を出て・・・23時には就寝・・・昔はこの同期が有効に機能していました。製造業、工場の稼動は人が集まって所定の時間に一斉に働き始めなければなりません。証券取引、昔は立会場に人が立って行われていましたから、やはり人が集まって所定の時間に一斉に働き始めなければなりません。基本的に人が全てを熟していた時代は、時間(時刻)による「同期」がなければ成立しない社会でした。では今「同期」前提の社会はどうなっているでしょうか? フレックスという業務形態を導入できたのはITシステムが導入されていたからです。工場では人ではなくロボットの導入で、人が集まらなくても稼働させられます。友達と待ち合わせしているときに、電車が遅れてしまうことを考慮して約束よりも早く着く行動は過去のものとなりました(遅れたらいつでも連絡できる安心感)。古代から人が発明し・改善し・利用し・進化させてきた「時間」という「仕組み」を、いま人は自らの手で、ITという技術を発明し・改善し・利用し・進化させながら壊しているということです。壊した"跡地"には「IT活用」の新たな仕組みが溶け込んで、今までの「時間」という仕組みに匹敵する重さでその役割を担い始めています。そしてあと15年もすればほとんどが「IT活用」の仕組みにリノベーションされた社会となっていることでしょう。ITの進化を"人の健全な進化"につなげるためには、あらゆる人がIT活用の現実を常に大きな観点で見ることを忘れてはならないと思います。

 この"構図"が、今回私が獲得した「時間」の正体です。

おまけ!・・・秒だけ!

 時間の長さを表す単位として日常使われているものには、秒(second)、分(minute)、時(hour)、日(day)、週(week)、月(month)、年(year)、十年紀(decade)、世紀(century)、千年紀(millennium)などがあります。このうち秒(second)だけが国際的定められているSI単位です。分(minute)、時(hour)、日(day) の3つは、SI併用単位(SI単位ではないが、SI単位との併用が国際度量衡委員会 (CIPM) により認められている単位)とされています。

 国際的に「正統な時間の長さの単位」は、秒(second)しか存在していないということです。

〔本コラムは偶数月の10日頃更新しています。〕

執筆者プロフィール

執筆者 永倉正洋氏

永倉 正洋 氏

技術士(電気・電子部門)
永倉正洋 技術士事務所 代表
一般社団法人 人材育成と教育サービス協議会(JAMOTE)理事
Mail:masahiro.nagakura@naga-pe.com


1980年 日立製作所入社。 システム事業部(当時)で電力情報、通信監視、鉄道、地域活性化などのシステムエンジニアリングに取り組む。
2003年 情報・通信グループ アウトソーシング事業部情報ユーティリティセンタ(当時)センタ長として、情報ユーティリティ型ビジネスモデル立案などを推進。
2004年 uVALUE推進室(当時)室長として、情報・通信グループ事業コンセプトuVALUEを推進。
2006年 uVALUE・コミュニケーション本部(当時)本部長としてuVALUEの推進と広報/宣伝などを軸とした統合コミュニケーション戦略の立案と推進に従事。
2009年 日立インフォメーションアカデミー(当時)に移り、主幹兼研究開発センタ長としてIT人財育成に関する業務に従事。
2010年 企画本部長兼研究開発センタ長として、人財育成事業運営の企画に従事。
2011年 主幹コーディネータとしてIT人財に求められる意識・スキル・コンピテンシーの変化を踏まえた「人財育成のための立体的施策」立案と、 組織・事業ビジョンの浸透、意識や意欲の醸成などの講演・研修の開発・実施に従事。
2020年 日立アカデミーを退社。
永倉正洋技術士事務所を設立し、情報通信技術に関する支援・伝承などに取り組む。日立アカデミーの研修講師などを通じて、特に意識醸成、意識改革、行動変容などの人財育成に関する立体的施策の立案と実践に力点を置いて推進中。

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