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株式会社 日立アカデミー

「得るもの」と「失うもの」

- 人間とデジタルの最適な融合関係を築くための手間 -

2024年10月9日'ひと'とITのコラム

ひととITのコラム「得るもの」と「失うもの」人間とデジタルの最適な融合関係を築くための手間


「カーナビ」の功罪

 突然ですが・・・私が初めて車にナビを付けてから23年経ちました。元々車の運転が好きで、一度通った道はほとんど覚えることが出来ていましたし、初めての行き先でも地図がなくても方向感だけで迷うことはほとんど無かったので、ナビを付けるのは"信義"に反する行為でした。

 では、何故付けたのか? 理由は二つ。一つは音楽を聴くため。専用のカーステ(もう死語?)と比べて機能・性能対価格の面でカーナビが高まってきていました。もうひとつが渋滞予測です。当時の渋滞予測は今のものとは比べようもなく精度は劣っていましたが、何も情報が無く渋滞に填まってしまう"不意打ち"が少なくなるだけでも精神的健康を実感することが出来ました。いずれにせよ、あくまでも「道が分からないから使いたいのではない」と、自分なりに言い聞かせていました。まぁ、くだらないプライドでしたが・・・

 しかし、人間は楽をしたい動物であることを身を以て実感することになります。使い始めは音楽関係の情報をデフォルトの画面とし、渋滞情報を見るときだけ地図表示としていました。しかしそのうちに画面切り替えが面倒くさくなってきます。すると音楽関係の情報は、音楽を聴く上で必ずしも必須ではないことから、不本意ながら地図表示が増えてきます。こうなると楽をする誘惑が忍び寄ってきます。いつの間にかナビの地図に頼っている自分を、抗いながらも認めざるを得ません。ナビに負けた瞬間です。

 ナビが付いていなかったとき、どうやって一度通った道路を覚えていたのか。私の場合は、基本的に交差点で目印になるものを得ていたようです。例えば十字路で左手前にガソリンスタンドがあり、右向後の角に蕎麦屋がある、といった情報をイメージ的にインプットしていました。イメージなので、後から一つひとつを"点"として思い出すことは難しいのですが、同じ所を通ったときにリアルの風景とインプットされたイメージが一致することで、間違わずに進むことが出来ていました。それが、ナビの地図に"感染"してしまうと、インプットされたイメージがほとんど思い出せなくなってきます。

 脳科学的視点で見ると、ナビが無いときには脳の「意識的領域」が目から入力されたイメージ情報を処理するので、「この先も使う情報かもしれない」と判断して、"インデックス"を付けた状態で記憶されています。しかし、基本的に人間は脳を休ませようとしています。もう少し言うなら脳の「意識的領域」を休ませようとしています。つまり「無意識的領域」は常に働いていて、その多くは目・耳・鼻・口などからのセンシング情報を処理しています。ナビの地図に頼り始めると、それまで「道を間違えてはいけない!」という思いが、脳の「意識的領域」を働かせていたのですが、ナビの地図に頼れることで、脳の「意識的領域」を休ませることが出来てしまい、「無意識領域」がイメージを処理します。すると脳は「無意識的領域」で処理した情報は「今だけ必要な情報」として認識し、インデックスを付けずに記憶してしまいます。よって、後から思い出しにくい情報となってしまいます。

 ナビを使い始めると「道を覚えなくなった」とよく耳にしますが、ナビ導入は「脳が楽できる環境」を創り出しているということなので、当然と言えば当然です。ナビを付けることで得たものの一つですね。他に、「一々分厚い地図帳を使わなくても良くなった」、「助手席に座る人が(地図とにらめっこせずに)車窓を楽しめる(爆睡できる(?))」、「覚えるための目印としていたものが変わってしまったときの混乱が避けられる」云々 色々得ることが出来ます。

 逆に失ったものは、先に述べた「道を覚える能力(スキル)・気力」、「運転中の緊張感」云々、こんな感じでしょうか。ちなみに一旦ナビに負けはしましたが、今は目的地の予想到達時刻の早さをルート選択で競っていて、結構ナビを負かしています(これもくだらないプライドですが・・・)。




「手書きによる書類のデジタイゼーション」の功罪

 別の話を書きます。みなさんは最近どれくらい手書きで文字を書きましたか? 私はこの一週間振り返ってみると数字9文字でした。3通の領収書に仕訳帳の通し番号(3桁)を赤いボールペンで振っただけです。いろいろな研修資料の作成や経理処理、メール処理など文字を使う仕事は行っていますが、全部キーボード入力です。それが当たり前の時代となりました。

 手書きによる書類のデジタイゼーション。私が入社した1980年当時は提案書、見積書、議事録、伝票等々全てが手書きでした。複写が必要なときはカーボン紙を挟んで力を込めて書く時代でした(カーボン紙を挟んで書くのは6枚が精一杯で、力を入れすぎて破けてしまうことも多々ありました。ちなみにメールで使われる宛先の"CC: "は、このカーボン紙から来ています)。そのうちにワードプロセッサ(ワープロ)という専用の装置が導入・普及し、手書きの煩わしさから解放されてきました。

 最初に実感した「ワープロで得たありがたさ」は誤字脱字の容易な修正です。手書き時代は、基本的にボールペン(万年筆を使っていた人も散見されました)でしたので、書き損じてしまうと一から書き直す必要がありました。他部署に依頼する場合によく「事項通知書」という体裁を使うのですが、特に相手が目上の人や役職上位者だと、読みやすい字で誤字脱字が無いように慎重に書こうとしますが、そういう時に限って最後の最後で書き損じることが「あるある」でした。一通の「事項通知書」を書き上げるのに半日かかるなんていうのはざらでした(当時のビジネス・業務スピードが手書き前提であったのも背景的事実ではあります)。それがワープロを使えば、書き損じても全面書き直しという事態には陥りません(ただ上司から文面上の指摘を受けての全面書き直しは、手書きでもワープロでも同じように起こりましたが・・・)。便利さを実感しました。

 すなわち「手書きによる書類のデジタイゼーション」で得たものはこの誤字脱字の容易な修正を始めとして、悪筆の隠蔽(私は特に嬉しかったです)、過去文章・他の人の作成文書の流用等々 もう戻れません。

 では、失ったものは何でしょうか? まずは多くの人が実感している「漢字が書けなくなる」が代表格でしょう。読めるけれど書けない・・・昔ならば、多くの人が漢字を書けなくなると漢字が廃れていき、いつの間にか日本語から漢字という文字種が無くなる時代を迎えたかもしれません。人類の進化の過程でそうやって失われた文字や言語は沢山あります。しかし、今の状況は、書けなくなってきているだけで使われなくなってきているわけではありません。IT活用の進化は、人類の進化の過程も変えています。また、私が代表格でもありますが、悪筆を直す機会が失われてきています。さらに、文章の使い回しが容易になることで、体裁優先の文章が氾濫し易くなっているのもある意味失ったものかもしれません(所謂コピペの氾濫)。

 今後GIGA(Global and Innovation Gateway for ALL)スクール構想の浸透や読書機会の激減なども相俟って、得るものもどんどん増えると同時に失うものも増えてくるのでしょう。




「メリット」、「デメリット」ではなく「得るもの」、「失うもの」という視点の大切さ

 さて、ここまで書いてきた「ナビに負けた話」と「手書きによる書類のデジタイゼーションの話」、前回のコラム『第59回 どうなる? 組織風土・文化 - デジタル時代だからこそ大切となる職場の"雑音"-』につながります。前回のコラムでは、 『コロナ禍を経て、デジタルの活用の具現化で、リモートワークやフリーアドレス化が大きな流れとなっています。メインストリームの業務はどうにか熟せるように思いますが、逆にそこに絞っているからこそ実現出来ている面もあります。すなわち絞るために切り捨てているものもあるということで、その中に先ほど触れた"雑音"があります。DXの推進で「データとデジタル技術の活用」を前提として企業風土・文化の変革を促しているにも関わらず、デジタル技術の活用が組織文化の醸成を阻害する可能性があるという矛盾を抱えているとも見えます。』と書きました。 

 このケースは、コロナ禍で出社・対面での業務が難しくなったという環境側の変化で、今までのやり方が維持できなくなったことに対し、新しいやり方で業務を継続させる取組みですが、通常は新しい仕組みや仕掛けを導入するのは、現状を何かしら変えるために行うことがほとんどです。その時に得るものと失うものをきっちり導出し、そのバランスを取ることが求められます。当然ながら何かを変えるときには、そのメリットとデメリットは考えるでしょう。しかし、ナビが世に出たときに「道を覚える能力(スキル)・気力の喪失」、「運転中の緊張感の喪失」をどれくらい考えたでしょうか? ワープロが世に出たときに「悪筆を直す機会の喪失」、「体裁優先の文章の氾濫」をどれくらい考えたでしょうか? 俎上には挙がったかもしれませんが、あまり重視はされていないと想像します。なぜ、重視されないのか? これらは一見デメリットとして認識されにくいということです。

 このコラムでは、私の書き方がデメリットとして強調していますが、真っ白な背景でそれぞれのデメリットを考えてもなかなか出てこないものではないでしょうか。しかもデメリットとして捉えられるのが時間を経てからというのもあります。すなわち、何かを変えるときに最初からはメリットとデメリットという切り口で考えることは危険だということです。理由は二つ。整理してみます。


 一つ目はここまで触れてきたメリットとデメリットの2極で考えると抜け漏れが生じるということです。前回のコラムで触れた「組織文化の形成や各人の成長につながる職場の"雑音"の喪失」も、メリット、デメリットの視点ではなかなか浮かび上がってこないものです。しかも浮かんでもメリットでもデメリットでもない事象として切り捨てられてしまう可能性が高いものです。最初からメリットかデメリットかではなく、先ずは得るものと失うものといった視点で網羅的に変化する事象を導出し、それらがメリットなのかデメリットなのかは少し大きな視点(アウトカム視点)で評価することが必要なんだと思います。

 二つ目は、そもそもメリット・デメリットを前提にすると最初からバイアスがかかると同時に思考が停滞しがちになるということです。ちょっと景色を変えてみます。今の時代、さまざまな視点や観点による多様な思考が必要と言われています。ということは、多様な人財が集まることで多様な発想が期待できるということです。そのためにはまず自分自身の"強み"や"弱み"を知る事が求められます。

 では、「自分の"強み(長所)"や"弱み(短所)"を導出しましょう」と言われて思いつきますか? 特に日本人は自分自身の"強み"の主張や自分をよく見せることに慣れてこなかったこともあり、"強み"を見つけようとしてもなかなか思いつかない傾向があるようです(最近のある調査で若い人で「褒められたいけれど人前では褒められたくない」という人が増えているそうです)。ではどうするか? 私は研修でまずは自分の"特徴"を考えてもらっています。それが"強み"か"弱み"かを考える必要はありません。何しろ人と違っているところや自分が意欲をもちやすいこと、嫌いなこと、何でも構いません。それらの特徴が"強み"となるか"弱み"となるかは、時と場合によって変わるのが今の変化が激しい時代の特徴ですから。"強み""弱み"の視点でなければ、バイアスもかからずに考えやすくなります。

 閑話休題、メリット・デメリットを前提としない変化要素を導出する場面も同様です。要は最初からメリット・デメリットなどの色を付けない思考が大切だということです。



手間を掛けなければ得られない人間とデジタルの最適な融合関係

 純粋に得るものと失うものを導出できれば、さまざまな場面の中でそれらがメリットなのかデメリットなのかが立体的なバランスを持って見えてくるはずです。この時に、メリット優先で失うものが出てきたとしても、その失うものの重要性が見えてくれば、今度はそれを別の形で実現(復活)させることが、別のメリットとして認識されバランスできることになります。

 2段階で考える手間と時間は掛かりますが、生成AIのように本来人間の領域であった部分にデジタル(IT)が入り込む時代は、特にこの手間と時間が、人間とデジタルの最適な融合関係を築く"要"となりそうです。



執筆者プロフィール

執筆者 永倉正洋氏

永倉 正洋 氏

技術士(電気・電子部門)
永倉正洋 技術士事務所 代表
一般社団法人 人材育成と教育サービス協議会(JAMOTE)理事
Mail:masahiro.nagakura@naga-pe.com

 

1980年 日立製作所入社。 システム事業部(当時)で電力情報、通信監視、鉄道、地域活性化などのシステムエンジニアリングに取り組む。
2003年 情報・通信グループ アウトソーシング事業部情報ユーティリティセンタ(当時)センタ長として、情報ユーティリティ型ビジネスモデル立案などを推進。
2004年 uVALUE推進室(当時)室長として、情報・通信グループ事業コンセプトuVALUEを推進。
2006年 uVALUE・コミュニケーション本部(当時)本部長としてuVALUEの推進と広報/宣伝などを軸とした統合コミュニケーション戦略の立案と推進に従事。
2009年 日立インフォメーションアカデミー(当時)に移り、主幹兼研究開発センタ長としてIT人財育成に関する業務に従事。
2010年 企画本部長兼研究開発センタ長として、人財育成事業運営の企画に従事。
2011年 主幹コーディネータとしてIT人財に求められる意識・スキル・コンピテンシーの変化を踏まえた「人財育成のための立体的施策」立案と、 組織・事業ビジョンの浸透、意識や意欲の醸成などの講演・研修の開発・実施に従事。
2020年 日立アカデミーを退社。
永倉正洋技術士事務所を設立し、情報通信技術に関する支援・伝承などに取り組む。日立アカデミーの研修講師などを通じて、特に意識醸成、意識改革、行動変容などの人財育成に関する立体的施策の立案と実践に力点を置いて推進中。

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