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株式会社 日立アカデミー

「事実」は一つだけれど「真実」は人の数だけある

- 正しく情報と付き合うために -

2022年4月8日'ひと'とITのコラム

近頃は、毎日のようにウクライナ情勢に関するニュースを見聞きします。そこでは、あらゆる場面でICTが活用され、さらに進化しているようです。
これまでもたびたびコラムで取り上げられた「情報と正しく付き合う」ためにはどうすれば良いのか?
この難題に取り組むためにも、今回のコラムのテーマ、『「事実」は一つだけれど「真実」は人の数だけある』ということを理解することこそが大事だと言えるようです。
(コラム担当記)

 このコラム、最近は2ヶ月毎に書いています。2ヶ月というのが長いのか短いのか 分からなくなります。2020年9月以降、2ヶ月の間隔だとコロナの新規感染者数が大きく増減する変化に翻弄されていたのですが、結局コロナ禍という状況は変わらずでした。見方によって変化が激しいとも乏しいとも感じられる月日の流れでしたが、前回の第44回(2022年1月末)以降、ご存じのようにニュースの内容が激変しました。ニュースもワイドショー(まだ使える言葉?)でもコロナ一辺倒だったものが、今はロシアのウクライナ軍事侵攻一辺倒です。何しろ早く終わって欲しい、それだけです。
 今回の軍事侵攻は、「ハイブリッド戦争」や「情報戦」さらに「初めてのデジタル戦争」であるといった報道によく触れます。要はICTの浸透下で、今までにない戦術が用いられている・・・つまりICTは戦争の形も変化させているということになります。私は太平洋戦争や第二次世界大戦経験者ではないので、経験者の話やさまざまなドキュメントからの情報を元とするしかないのですが、かなり手段(戦術)が変化していることはわかります。例えば3/23に日本の国会でも行われましたが、ウクライナのゼレンスキー大統領のリモート演説。すでにアメリカ、イギリス、ドイツ、カナダ、EU、イタリアなどの議会でも行われました。各国の歴史や文化、状況さらには国民性などを踏まえた演説内容で、優秀なスタッフの存在がうかがえます(ゼレンスキー大統領は、芸能プロダクション企業の社長も経験しているので、人財が豊富なのかもしれません)。これはいままでの戦争ではあまり見かけなかったICT活用の新しい形です。第二次世界大戦ではラジオによる"リモート"演説はありましたが、効果の差は歴然です。さらに停戦協議もリモート形式で行われているようです。昔は物理的に互いの代表団が足を運ぶことが必要で、さらにどこで行うかが大きな駆け引きでした(今回も最初の頃は対面方式で、協議場所の選定が問題となっていました)。リモート形式は、場所と時間にとらわれないメリットがありますから、協議のスピードを早めて欲しいです。また、今回驚いたのが日本のテレビ番組に現地の人(日本での生活経験があり日本語が堪能な人でした)が生出演(瞬間的ではなく、いつミサイルが飛んでくるか分からない中で1時間にわたって出演)して、現地の状況や現地から訴えたいこと、日本への期待などをリアルタイムに知らせてくれている。出演している現地の人からは「現実を伝えるという機会を"武器"として、ウクライナ以外の国々で戦争終結につながる世論を作るという手段で"戦える"ことに感謝したい」と話していたのが印象的でした。リアルな状況をグローバルで即座に共有出来るICT環境は、戦争という特別な状況でも今までとは違う環境を作っています。サイバー戦争はすでに日常化していますが、リアル社会での戦争でもICTは、善し悪しは別として"武器"としての役割も担っていることを強く感じさせます。

 今回の軍事侵略がデジタル戦争といわれているのは、情報戦として分類されるものが同時並行で多数使われているからでしょう。情報戦には、指揮統制戦、電子戦、諜報基盤戦、ハッカー戦、心理戦、経済情報戦などがあるようです。今回はアメリカを中心にロシアの動きや根拠に基づく予測が、ロシアに対する抑止力としての期待で多数発表されました(諜報基盤戦)。SWIFT(Society for Worldwide Interbank Financial Telecommunication:国際銀行間通信協会)排除などロシアに対する経済制裁の多くがICTに関わるものとなっています(経済情報戦)。当然 公然にはなりませんが、戦場では指揮系統での電子戦が繰り広げられているでしょう。こんな中で特に目立つのが心理戦です。プロパガンダですね。
 プロパガンダは辞書には『宣伝。特に、主義・思想の宣伝』とあります。しかし最近のプロパガンダという言葉には知らしめる(理解・広める)だけでなく、世論・意識・行動へ誘導する意味合いがあるように思います。"プロパガンダ"という言葉は1622年(カトリック教会の布教聖省(当時)の名称が由来)から使われていますが、その指し示すことはローマ帝国の時代から政治活動の一端として常に存在してきました。特にこの言葉が注目されるのは戦争の時です。プロパガンダは平時でもコーポレートプロパガンダなど広く行われていて、最近では企業自らだけではなく"インフルエンサー"による購買行動への影響もプロパガンダと言えます。しかし平時はあまりプロパガンダという言葉に触れることがないのは、この戦争のイメージに結びついた胡散臭さを感じてしまう所以なのかもしれません。
 国家が戦争をするために、特に自国民に対して戦争以外の選択肢はないことを理解してもらうことが必要です。しかし、なかなか理解までは難しい。結局は信じ込ませることになります。ここにプロパガンダの出番があります。第二次世界大戦・太平洋戦争の時にはドナルドダックやポパイのアニメキャラクターを使ったものや映画や記念切手、ポスターに至るさまざまな媒体を通じて、戦意高揚につながるプロパガンダが行われました。日本での大本営発表も同様です。イギリスのアーサー・ポンソンビー氏は、第一次世界大戦でイギリス政府が行った戦争プロパガンダを分析して、プロパガンダで主張される10の要素(下記)を導き出し、後にフランスのアンヌ・モレリ氏が、第一次世界大戦だけでなくあらゆる戦争で共通していることを示しています。

  1. 我々は戦争をしたくはない。
  2. しかし敵側が一方的に戦争を望んだ。
  3. 敵の指導者は悪魔のような人間だ。
  4. 我々は領土や覇権のためではなく、偉大な使命(大義)のために戦う(正戦論)。
  5. 我々も誤って犠牲を出すことがある。だが、敵はわざと残虐行為におよんでいる。
  6. 敵は卑劣な兵器や戦略を用いている。
  7. 我々の受けた被害は小さく、敵に与えた被害は甚大。
  8. 芸術家や知識人も、正義の戦いを支持している。
  9. 我々の大義は、神聖(崇高)なものである。
  10. この正義に疑問を投げかける者は、裏切り者(売国奴、非国民)である。

 如何ですか。最近見聞きしたことがある"あらすじ"に見えませんか?アンヌ・モレリ氏が言う「あらゆる戦争で共通」というのが証明されている気がします。

 今回の軍事侵攻が始まってから、日本にいるロシア人がロシアにいる親と喧嘩になっているとい報道がありました。喧嘩どころではなく親子の縁を切られたという話も聞きます。これは日本在住に限らず、ロシア以外に住んでいる人とロシアに住んでいる人との間でも起きているようです。ロシア国内ではさまざまな報道媒体が制限され、基本的には国営テレビ3局の報道だけとなっています。限定された情報にしか触れていなければ、それがすべてです。(国営の)テレビが唯一の情報源という人が、年齢が高い層では特に多いようなので、先の報道につながっています。自分の子供に指摘されても聞く耳を持たず親子の縁を切るまでに信じ切る、プロパガンダが"効果的"に効いているということです(この層は、ソヴィエト連邦の時代を経験しているので、余計ロシア政府の発表に傾斜するとの指摘もあります)。結局プロパガンダを進めるということは、第42回のコラムで触れた"フィルターバブル"を意図的に創り出すということに他なりません。ネット社会が浸透して多様な情報に触れることが当たり前となった時代だからこそ、意図的な情報峻別や遮断に対する耐性力が求められることを強く感じます。
 ところで、プロパガンダというと、ほとんどが虚偽や誇張の内容に埋め尽くされている印象を感じてしまいます。しかし、プロパガンダにはいくつかの種類があるようです。情報の発信元を偽ったり虚偽や誇張が含まれるものは「ブラックプロパガンダ」、情報の出処がはっきりしていて、事実に基づく情報で構成されている「ホワイトプロパガンダ」、これらの中間である「グレープロパガンダ」となります。先ほど触れた「コーポレートプロパガンダ」、たまに「グレープロパガンダ:誇大広告」や「ブラックプロパガンダ:詐欺まがい」のものもありますが、基本的にホワイトプロパガンダでないと困ります。国家によるプロパガンダの怖さは、国家が自国民を誘導するために虚偽を含むブラックプロパガンダを発信したとしても、受け手の国民にとっては国家という出処がはっきりしているホワイトプロパガンダとして受け止めてしまうところにあるのではないでしょうか。
 先に述べましたが、昔の戦争絡みのプロパガンダは、国威発揚・戦意高揚を目的として自国民に対して行われることが多かったのですが、最近は自国民だけではなく国連などの公の場やSNSなどのネットツールを通じてグローバルの不特定多数に対して行われることが多くなったと感じます。これは、「偽旗作戦」といった情報戦への展開の布石という側面もありますが、自国民のネットの利用をいくら国家が遮断したとしても、完全には封じ込められないことから、自国内への発信と同様の発信を国外でも行う必要に迫られていることもあるでしょう。しかしネット社会の実現で、昔は当事者だけの問題だったものが、当事者と当事者以外の区別が曖昧となっていることも大きな要因である気がします。いずれにせよ、この辺はICTの浸透による戦争のやり方の変化が表出している部分と言えそうです。ということは戦時に限らず、コロナ対応で台湾のオードリー・タン氏が注目されたように、国家としてのICT活用戦略・戦術を日頃から司令塔として采配できる人財の存在が、その国の存亡を左右する時代を迎えていると言っても過言ではないでしょう。現にウクライナにはフェドロフ副首相、ボルニャコフデジタル庁副大臣といったIT起業家出身(ウクライナは「スマホの中の国家戦略」でICT先進国です)の人財が、今のハイブリッド戦争のうち"デジタル戦争"の部分を担っています。
 プロパガンダに踊らされるか踊らされないかは、あくまでも個人の自由であり選択の対象です。しかし大切なことは、プロパガンダであることを認識した上で選択しているかどうかです。現在のようなさまざまな情報を手軽に手に入れられる時代でなければ、情報の信憑性を確認する手立てが基本的にありませんから、多くの人々はプロパガンダであるとの認識を持つことは難しかったでしょう。いや、今もです。先ほど触れたロシアの年齢が高い層のようにテレビなどプロパガンダのツールとして組み込まれた手段にしか接していない人達も確認の手段はありません。信憑性を確認されることがなければ、プロパガンダの内容(質)はあまり気を遣わなくても成り立ちます。ところがネット社会、プロパガンダか否かの確認手段が存在する環境です。先ほど述べたように確認手段の遮断も行われますが、やはり完全に遮断することは無理です。するとプロパガンダだと見抜かれても、踊ってもらえるような内容(質)にする必要があります。昨今のディープフェイクなど最先端のICT活用による"欺瞞技術"の進化など、善くも悪くもICTの進化はプロパガンダのあり方も大きく変えています。

 プロパガンダかどうかを認識することも含め、このコラムでも何回も触れてきた「情報と正しく付き合う」ためにはどうすれば良いのか?今回の軍事侵攻の情報に触れるたびに考えさせられます。そんな中でひとつ思ったことがあります。今回のコラムの表題とした『「事実」は一つだけれど「真実」は人の数だけある』ということです。これは法曹界ではよく使われる言葉だそうです。  「事実」と「真実」。みなさんはこの違いをどのように理解していますか?
 例のごとく辞書調べです。広辞苑第七版には次のように載っていました。

『事実:
①[史記(荘子伝)]事の真実。真実の事柄。本当にあった事柄。「―関係」「―を曲げる」「―上の支配人」②〔哲〕(factum(ラテン)・fact(イギリス))本来、神によってなされたこと、またそれが世界として与えられていること。転じて、時間・空間内に見出される実在的な出来事または存在の意。実在的なものとして幻想・虚構・可能性と対立し、すでに在るものとして当為的なものと対立する。個体的・経験的なものとして必然性はなく、その反対を考えても論理的には矛盾しない。②(副詞的に)ほんとうに。じっさい。「―僕は何もしゃべっていない」』
『真実:
うそいつわりでない、本当のこと。まこと。今昔物語集(5)「若し―の言(こと)を致さば我が身本の如く平復すべし」。「―を語る」②(副詞的に)ほんとうに。全く。「―驚いた」③〔仏〕あるがままであること。究極のもの。絶対の真理。真如。』

 両語の哲学由来、仏教由来の部分で比べると「真理」的な究極の"正しさ"という共通的なニュアンスも感じられます。しかし「事実」は「事の真実」、「本当にあった事柄」とあるのに対し「真実」は「うそいつわりがないこと」、「本当のこと」とあります。実際の使われ方をみると、「事実が判明する」「真実を述べる」すなわち「事実」は「明かす」であるのに対し「真実」は「語る」です。例えば、気温が1℃だった早朝、Aさんは「思ったより寒い朝だ」と言い、Bさんは「思ったより暖かい朝だ」と言ったとします。同じ空間で寒いと暖かいが同居しています。ではAさんかBさんのどちらかが間違って言ったり嘘を言っているのでしょうか、両者とも"うそいつわりがない正しいこと"を言っています。この例では
 「事実」⇒気温が1℃の早朝・・・Aさん、Bさんの主観が入らない唯一の客観的な捉え方
 「Aさんにとっての真実」⇒思ったより寒い・・・Aさんの主観的な捉え方(うそいつわりはない)
 「Bさんにとっての真実」⇒思ったより暖かい・・・Bさんの主観的な捉え方(うそいつわりはない)
 となります。「今朝は寒かった(暖かった)」が「真実」です。「気温が1℃の早朝」という一つの「事実」に対して二つの「真実」が存在しています。すなわち「真実」は一つとは限らないということです。なんとなく「今朝は寒かった(暖かった)」を「事実」として捉えていませんでしたか?さらには「真実とは唯一のものである」と思っていませんでしたか?私はそんな感覚がありました。
 プロパガンダではよく映像が使われます。映像で写し出されているものは「事実」でしょう。しかし、ナレーション等で語られていることが誘導したい内容であることが多い。すなわち、プロパガンダは「事実」を元に、人が何人居ようと全員に一つの「真実」を信じ込ませる(一つの「事実」と一つの「真実」の実現)手段ということになります。この時に映像という「事実」が目の前にあることで、語られる「真実」があたかも信憑性の高い「事実」として見る人に伝わってしまう。さらに映像等の「事実」の部分も、"切り取り"などの編集で伝えたい「真実」に寄せた「事実」とすることも出来ます。特にICTの進化がこの技術を飛躍的に向上させています。

 ネット社会では情報を自分の主観というフィルターを介して見てしまいます。でないとSNSなどがコミュニケーションツールではなく単なる伝言ツールとなってしまいます。すなわち「事実」が「事実」のまま(事の真実のまま)伝えられることは少ないのかもしれません。だからこそ、
 ①自分が得た情報が「事実」なのか「真実」なのかを吟味する。
 ②もし「真実」であるならばそこにある「事実」を見つける。
 ③得られた「事実」の"偏り(どのように編集されているか、前後のつながりはどうなっているか)"を確認する。
 ④さらに必要があるならば自分の「真実」をあらためて見出す。
 この作法が「情報と正しく付き合う」ために必要なのではないでしょうか。さらに付け加えるならば、「真実は人の数だけある」ことの理解は多様性の理解そのものなんだと思います。

 今回のウクライナへの軍事侵攻は、マスで見ると、第三次世界大戦への拡大リスクが高いことなどから、アフガニスタンやイラク、シリアの紛争やミャンマーのクーデターなどよりも大きな報道となっています。さらに今回の軍事侵攻では、SNSや前半で書いたリモートでのテレビ出演などICTを通じて住民一人ひとりを感じることが出来ます。ということは、アフガニスタンやイラク、シリア、ミャンマーでも、そこに住んでいる(住んでいた)人達には同様のことが起きていたはずですが、私自身今回ほど関心を持っていなかったことに気付かされています。関心があれば容易く情報に触れることが出来る時代・社会ですから、報道の濃淡のせいではない、私自身の意識の問題です。自らの意思で、社会を見抜く意識と眼力を使うこと、心掛けたいと思います。

 何しろできる限り早く軍事侵攻が終わり、すべての人にとって"当たり前"が"当たり前"になることを願います。

執筆者プロフィール

執筆者 永倉正洋氏

永倉 正洋 氏

技術士(電気・電子部門)
永倉正洋 技術士事務所 代表
一般社団法人 人材育成と教育サービス協議会(JAMOTE)理事
Mail:masahiro.nagakura@naga-pe.com

 

1980年 日立製作所入社。 システム事業部(当時)で電力情報、通信監視、鉄道、地域活性化などのシステムエンジニアリングに取り組む。
2003年 情報・通信グループ アウトソーシング事業部情報ユーティリティセンタ(当時)センタ長として、情報ユーティリティ型ビジネスモデル立案などを推進。
2004年 uVALUE推進室(当時)室長として、情報・通信グループ事業コンセプトuVALUEを推進。
2006年 uVALUE・コミュニケーション本部(当時)本部長としてuVALUEの推進と広報/宣伝などを軸とした統合コミュニケーション戦略の立案と推進に従事。
2009年 日立インフォメーションアカデミー(当時)に移り、主幹兼研究開発センタ長としてIT人財育成に関する業務に従事。
2010年 企画本部長兼研究開発センタ長として、人財育成事業運営の企画に従事。
2011年 主幹コーディネータとしてIT人財に求められる意識・スキル・コンピテンシーの変化を踏まえた「人財育成のための立体的施策」立案と、 組織・事業ビジョンの浸透、意識や意欲の醸成などの講演・研修の開発・実施に従事。
2020年 日立アカデミーを退社。
永倉正洋技術士事務所を設立し、情報通信技術に関する支援・伝承などに取り組む。日立アカデミーの研修講師などを通じて、特に意識醸成、意識改革、行動変容などの人財育成に関する立体的施策の立案と実践に力点を置いて推進中。

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