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株式会社 日立アカデミー

「デジタル社会」って何?

- 言葉の曖昧な使い方に潜む本質 -

2021年4月2日'ひと'とITのコラム

e-Taxの利用により、自宅やオフィスにいながら確定申告書を作成し提出できることは今や周知のことでしょう。
筆者はe-Taxにより「デジタル社会」の恩恵を実感しました。
世の中には「デジタル社会」と似たような概念をもつ言葉がたくさん存在しています。「デジタル社会」という言葉が使われるようになった時代背景や流れには、どのような大切なことが潜んでいるのでしょうか。「言葉の曖昧な使い方に潜む本質」について考えてみましょう。
(コラム担当記)

 確定申告を済ませました。医療費還付の申請は経験していましたが、青色申告は初めてです。昨年の8月までは給与所得があったので単純な申告内容ではないことが、実は個人事業者に登録する上でもっとも憂鬱なことでした。若干手間取りましたが2月中には申告書を提出できました。日頃から帳簿をきちんとつけていれば(三日坊主の繰り返しで成長した私にしては珍しいのですが・・・)、さほど難しいことではないですね。e-Taxの存在も大きいです。いちいち電卓を叩く必要も無いですし、必要となる関連項目欄にしっかり転記もしてくれます。コロナ禍で税務署が予約制となっていて税務署に行くこと自体も大変な時期でしたが、一度も足を運ばずに済みました。さすがe-Tax・・・「デジタル社会」の恩恵を実感しました。
 ところで、この「デジタル社会」という言葉。特に「デジタル」とは何を表現しているのでしょう?

 私の就職は1980年です。すぐに計算機システムに関わる業務に携わりました。当時はまだ"IT"なる言葉はありませんでしたし、「コンピュータシステム」よりは「電子計算機システム」という言い方の方が多かったように記憶しています(大学院でも「電子計算機概論」で「コンピュータ概論」ではありませんでした)。当時計算機システムを導入して省力化・効率化を実現する機運が高まってきており、電子計算機システムの導入を「デジタル化」と呼ぶこともありました。この時代"データ"を対象とした使い方が多かったように思います。電子計算機で扱うデータは「デジタルデータ」、従来の紙ベースのデータを「アナログデータ」と呼び、電子計算機システムで「アナログデータ」を扱えるようにすることを「デジタル化」と称していました。特に設計現場で多量に蓄積・管理されている手書き図面(アナログ図面)を、電子計算機で扱える「ベクトルデータ(図面上の線や数字に意味を持たせたデータ)」に変換する「オートデジタイザー」というシステムが開発され、膨大な手書き図面の"ペーパーレス"の実現を可能としました。
 ここまで私も「デジタル」「アナログ」という言葉を平気で使っていますが、そもそも「デジタル」という言葉の意味は何でしょう?得意の辞書調べです。広辞苑(7版)を覗いてみます。
 『デジタル【DIGITAL】:ある量またはデータを、有限桁の数字列(例えば2進数)として表現すること。⇔アナログ。』とあります。ではアナログは?『アナログ 【analog】:①ある量またはデータを、連続的に変化しうる物理量(電圧・電流など)で表現すること。⇔デジタル。②比喩的に、物事を割り切って考えないこと。また、電子機器の使用が苦手なこと。「―人間」』とあります。すなわち広辞苑的には先述した1980年代の使い方と同じように、デジタル/アナログをデータの性質・特性面で意味づけていますが、②の「アナログ人間」では「電子機器の使用」も「デジタル」としています。

巻き鍵イメージ

 データの性質・特性面での分類の観点で使われる「デジタル」には、「デジタルカメラ」、「デジタル通信」、「デジタル放送」、「デジタル電話」などが浮かびます。広辞苑の「デジタルカメラ」の項には『デジタル‐カメラ 【digital camera】:静止画像を電子的に記録するビデオ‐カメラ。フィルムの代りにCCDやシーモス(CMOS)などの撮像素子を用いて画像をデジタル信号に変換し、メモリーカードなどの記憶装置に記録する。』とあります。扱っているデータの違いで分類されています。デジタルという言葉は使っていませんが「CD(compact disk)」もレコードとの対比で同様ですね。扱っているデータによる分類ではなく使い分けられているのが「時計」です。「アナログ時計」は時刻を長針・短針で表示していて、「デジタル時計」は数字で表示していることによる分類です。さらに時計の仕組みでもありません。仕組みの話を絡めるとちょっと複雑になります。私が子供の頃の時計の仕組みは、ゼンマイという機械部品を使うのが当たり前でした。腕時計にせよ柱時計にせよ"時計が止まる"ということが茶飯事でした。止まっていると「時計を巻く」ということをしました。正確には「時計のゼンマイを巻く」です。柱時計だと巻くための穴が開いていて、巻くための「巻き鍵」というものを使って定期的にゼンマイを巻いていました。腕時計ではリューズを定期的に回していました。そのうちに半円状のローターが搭載された「自動巻き」のものが普及し、いちいちリューズをまかなくても日常の動作でゼンマイが巻かれるものが一般に普及しました。いずれにせよ、ゼンマイなどの部品で構成される「機械式」です。最近の多くの時計はモーターを使う「電子式」です。ゼンマイは搭載されていません。ゼンマイを巻く代わりに電気が必要です。電池式のもの、発電機を搭載しているもの、光パネルのもの、色々あります。時計の仕組みで分類すると電子式≒デジタル式に対して、機械式≒アナログ式と言えますが、世の中には「電子式で長針・短針で時刻を表示するもの」もあります。先ほどの広辞苑的にはこれは「アナログ時計」です。私の知る限りでは逆のもの「機械式(ゼンマイ式)で時刻表示が数字」は見たことがありません。あったら面白いかもしれませんが・・・。このように時計の場合デジタル/アナログの意味するものは、先述のデータの性質・特性ではなく、データの表示方法の区分と時計を構成する部品(要素)での区分が混在していてちょっと複雑です。

 この時計の例のように、「デジタル社会」を構成要素的に見ると、コンピュータをはじめとする「デジタル機器」が主要な要素となっている社会と見ることが出来そうですが、ここでまたやっかいなことを書きます。「コンピュータ=デジタル」はイメージでしかありません。コンピュータは「デジタル」だけではありません。「アナログコンピュータ」なるものも存在します。「アナログコンピュータ」は物理現象を方程式に表して、その物理量を電圧に対応させることで特に微分方程式の過渡解を手軽に出力させることが出来ることから、自動車の開発設計や送電の過渡現象解析などに使われてきました。すなわちコンピュータそのものは決して「デジタル」に限定されるものではない、ということになります。ちなみに「計算尺」はアナログ的な計算機、算盤は5進法のデジタルな計算機ということなのかもしれません。
 こう見てみると我々人間は、もの凄く正確に事由を追求する割には曖昧なイメージだけで済ませることも出来るという、かなりいい加減な(柔軟な)生き物なのだと言えるでしょう。

 それでは「デジタル社会」とは何なのか?そもそもデジタル/アナログは、今まで見てきたようにそこで扱っている「データ」の違いが根本に存在します。しかし、現在多くの人はこのような見方はしていない気がします。日常生活でデータの種類(構造?)を意識することはほとんど無いと思います。実はこのデータの種類の違いが結構生活でも大きな影響を与えているのですが、日頃は気にしていないというのが現実です。一番実感するのは、「スマホが故障したり壊れたときにデータがすべて駄目になる」といった場面でしょうか。デジタルデータはいとも簡単に「飛んでしまう」ということです。データが飛んでから「紙にメモっておけば良かった」と後悔することになります。話が横道にそれますが、青色申告では提出書類や証憑となる領収書などの紙保管が義務づけられています。私もそうですが、日頃に帳簿付けや領収書もパソコンに取り込むことで電子化して運用していますが、すべて印刷して紙による保管が必要です(事前に「電子帳簿保存」の届け出をすれば紙は必要ないのですが、決められたソフトを使うなどの制約があります)。データの種類を問われる場面です。これはデータが飛んで消失することと、データの改ざん可能性を踏まえた証憑性の担保のための対応です。改ざんは紙で保管する場合でも、再度印刷してしまえば同じことなのではないかと個人的には思いますが・・・。

 今社会で起きていることは、このコラムでも何回か触れてきましたがSociety5.0やCPS(Cyber Physical System)に代表されるように、今まで取得されていなかったデータを出来るだけ取得して、緻密なフィジカル社会の写像空間を作り、この空間の活用で今まで解決できなかった課題を解決するような革新的価値を創出する取り組みの加速です。この部分は、従来のアナログ形式のデータをデジタル化するという従来のコンピュータ化・IT化・デジタル化の取り組みというよりは、IoT(Internet of Things)の概念に代表されるように、さまざまなデバイス(デジタル)を使った今まで取得していなかった(取得できなかった)データの取得ですから、データの性質・特性は最初からデジタルとなります。こう考えると「デジタル社会」とは、「従来見えなかったもの・ことを、デジタルデータ化して見える化する社会」と言えるのかもしれません。ならば「デジタルデータ社会」と称した方が実態に合う気もしますが、これだとデータの漏洩やデータによる監視など不安や不信につながる負の側面が強調されてしまいそうですね。
 大切なのは、データの取得ではなく、そこから新たな価値を生み出すことです。その価値が我々の生活を豊かにすることです。このことが2004年にスウェーデン ウメオ大学のエリック・ストルターマン教授が提唱した概念:「進化し続けるテクノロジーが人々の生活を豊かにしていく」という「デジタルトランスフォーメーション(DX)」の本質です。

 ところで、新たなデータ取得も含めITなどのデジタル技術を駆使して今までなかった価値を創出する取り組みによく使われてきた言葉は他にもあります。「スマートシティ」、「スマートタウン」、「スマート家電」、「スマートホーム」など「スマート」という言葉が使われてきました。CMなどでも盛んに使われているので耳なじみなのではないでしょうか?「スマートホン」もしかりです。広辞苑では『スマート 【smart】 ①からだつきや物の形が細くすらりとして恰好がよいさま。「―な車体」「痩せて―になった」②身なりや動作などが洗練されているさま。「―な態度」「―に着こなす」「意見を―にまとめる」③装置・機器などが情報処理機能を具えること。「―‐グリッド」smart:』とあります。③ですね。例えば「スマートホーム」。構成機器はITだけでなく太陽光発電、深夜温水器、ホームセキュリティ、家電、電話、お風呂、キッチン・・・これらの"装置・機器"が情報処理機能を具備してつながり、データをやり取りして今までにない価値を創出することで、QOL(Quality of Life)の向上だけでなく、環境問題やエネルギー問題など社会的課題の解決につなげるものです。「スマート」はデータの観点ではなく、構成要素側からの観点での概念と見ることが出来そうです。さらに言葉を探してみると、やはり構成要素側に近い観点での言葉に「e」があります。e-Tax がこれです。さらにEメール(Electronic mail, 電子メール)、eラーニング(e-learning, electronic learning)、eコマース(electronic commerce, 電子商取引)、e-Government(electronic government, 電子政府)、e-Japan、eスポーツなど多岐に及びます。この「e」はelectronic の略で、特にコンピュータやインターネットなどにより、電子化されたものとされています。かなり「スマート」に近い概念と言えます。国(社会)全体の取り組みで「e-Japan」という言葉がありました。これは2000年6月に内閣府の経済審議会が取りまとめた『経済社会のあるべき姿と経済新生の政策方針の実現に向けて』という計画書の中で『情報通信技術の想像を絶する進歩と世界中の情報の受発信源がインターネットを中核とした情報通信ネットワークで結ばれるようになること、及び、それらがもたらす経済社会面での様々な変革を表す表現である。』という定義の「IT革命」と呼んだ施策方針に基づいて経産省が推進したものです。この時期に並行して「ユビキタス・コンピューティング」、「ユビキタス社会」という言葉も使われました。これも余談ですが、グローバルで「ユビキタス・コンピューティング」を使っていたのは日本と韓国ぐらいで、多くの国は「パーベイシブ・コンピューティング(pervasive computing)」を使っていました。「ユビキタス」という言葉はラテン語で「あらゆるものに神が宿る」という意味で、家電を初めとして多くのものにマイコンなどが搭載されて、それらをつなぐことで価値を高めるという概念でした。これも構成要素側の使い方です。


 「デジタル社会」という言葉に引っかかって色々俯瞰してみましたが、似たような概念を何と多くの言葉で表していたのかがよくわかります。何でひとつの言葉を使い続けられないのでしょうか?まず考えられるのが時代の進化でしょう。この進化には技術面と利用面があります。技術面では企業などが競合他社や過去との差別化を図るために、敢えて異なる言葉の使い方に走るということでしょう。利用面では、第2回のコラム『「見える価値」と「見えないIT」―ITが社会で普及し溶け込んでいるということー』でも触れましたが、利用者が実感する価値の進化が前面に出ていて、その価値を創出する要素が利用者からは見えなくなっていることが考えられます。要素の進化によって価値が変わると、構成要素そのものは変わっていなくても違ったものとして新たな言葉が使われているのかもしれません。これは大切なのは価値であって技術や仕組みではないということからも、良い流れなんだと思います。「デジタル社会」という言葉のそのものはその曖昧さから、私はやはり今ひとつなのですが、この言葉が使われている背景・流れにはとても大事なことが潜んでいる気がします。
 「デジタル社会」ではなく「e社会」(「electronic 社会」と「いい(良い)社会」)が私的には押しです。

執筆者プロフィール

執筆者 永倉正洋氏

永倉 正洋 氏

技術士(電気・電子部門)
永倉正洋 技術士事務所 代表
一般社団法人 人材育成と教育サービス協議会(JAMOTE)理事
Mail:masahiro.nagakura@naga-pe.com

 

1980年 日立製作所入社。 システム事業部(当時)で電力情報、通信監視、鉄道、地域活性化などのシステムエンジニアリングに取り組む。
2003年 情報・通信グループ アウトソーシング事業部情報ユーティリティセンタ(当時)センタ長として、情報ユーティリティ型ビジネスモデル立案などを推進。
2004年 uVALUE推進室(当時)室長として、情報・通信グループ事業コンセプトuVALUEを推進。
2006年 uVALUE・コミュニケーション本部(当時)本部長としてuVALUEの推進と広報/宣伝などを軸とした統合コミュニケーション戦略の立案と推進に従事。
2009年 日立インフォメーションアカデミー(当時)に移り、主幹兼研究開発センタ長としてIT人財育成に関する業務に従事。
2010年 企画本部長兼研究開発センタ長として、人財育成事業運営の企画に従事。
2011年 主幹コーディネータとしてIT人財に求められる意識・スキル・コンピテンシーの変化を踏まえた「人財育成のための立体的施策」立案と、 組織・事業ビジョンの浸透、意識や意欲の醸成などの講演・研修の開発・実施に従事。
2020年 日立アカデミーを退社。
永倉正洋技術士事務所を設立し、情報通信技術に関する支援・伝承などに取り組む。日立アカデミーの研修講師などを通じて、特に意識醸成、意識改革、行動変容などの人財育成に関する立体的施策の立案と実践に力点を置いて推進中。

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