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株式会社 日立アカデミー

「常識」という「非常識」

-"脳のコンピュータ"と"ITのコンピュータ"との融合例-

2017年4月13日'ひと'とITのコラム

長く常識と信じこんでいた事柄が、新事実の発見などにより、いつのまにか常識ではなくなっていることがあります。あるいは、たとえば海外旅行の際、外国では私たちの一般常識が通用しないことに気付くこともあります。
では、常識とどのように向き合えばよいのでしょうか?
常識に頼るのはやめよう、と永倉は言います。さて、その真意は?・・・
(コラム担当記)

 少し前、ニュースなどの話題を独り占めした感がある「藤井聡太四段の29連勝」、すごい!の一言です。 なぜこんなに強いのか? 多くのプロ棋士と同様AIで学び成長しているからなど、いろいろな見方が報道されていましたが、私の目にとまったのが「"定跡"にとらわれない手を、怖がらずに打っている」というものです。

 さらに少し前、世界最強の棋士・柯潔九段を破ったDeepMind社のコンピューター囲碁プログラム「AlphaGo(アルファ碁)」、この対決を最後に引退表明したことでも話題になりました。 AIは学ぶことで賢くなります。 「AlphaGo」も過去の人間の棋譜から学びました。 人間が残した棋譜を学び切った後は、「AlphaGo」対「AlphaGo」の"セルフ対局"を数百万回"経験"して成長したそうです。 この"セルフ対局"の一部である50対局の棋譜が公開されました。 この棋譜を見たほとんどの"人間のプロ"が驚愕したこともニュースとなりました。 その棋譜はほとんどがまるで素人のような手を打つと思えば、プロのような手を打つ。 さらには中途半端な手や手抜きの手など、"理解不能"だったそうです。

 囲碁・将棋の世界でよく"定石・定跡"という言葉が使われます。 大辞林(三省堂 第三版)によると『定石・定跡:①囲碁・将棋で、ある局面において双方にとって最善とされる一定の打ち方・指し方。長年の研究によって確立されたもので、それに双方が従えばある局面の結果はごかくになる場合が多い』とあります。(ちなみに囲碁では"定石"、将棋では"定跡"と書くそうですが、本コラムは以降"定石"とします。) すなわち、多くの先人たちが積み重ねてきた手の打ち方で、この"定石"を踏まえて打つのが、ある意味プロなのかもしれません。 素人も"定石"を多く知っている人が強いのも事実です。 しかし、「AlphaGo」も藤井聡太四段も"定石"から離れたところで手を打ち、これが強い。 「"定石"から学び、"定石"を打たない。」 "定石"の役割を変えてしまったのかもしれません。

 われわれ人間は、善し悪しに関わらず先例に頼ることが求められたりします。 例えばビジネスの現場で使う「フレームワーク」、先人の知恵を見える化・体系化したもので、これを使うということは人間の知恵の積層と言えます。 品質維持の基本は、過去からのプロセスを改善しながら確実に"踏襲"することです。 この場合、人間の勝手な発想は御法度。 先輩と同じことをしっかりやることが大切です。 先の大辞林には、『定石・定跡:②物事を行う上で、一般に最善と考えられている方法・手順など。』とあります。 特に高品質で低廉なものづくりに特徴がある日本では、特に大切でした。 先例に頼ることが求められていない場合でも、結構無意識に頼っていることが多いのではないでしょうか。

 時代は変わり求められる価値に付く形容詞は、「斬新」「刷新」「独創」「創造」「非連続」「今までにない」「前例のない」「革新」「飛躍的な」・・・ 様変わりです。 仕事でも「"定石"から学び、"定石"を打たない。」 が求められているのでしょう。 われわれの行動で"定石"とは"常識"という言葉で表されるものでしょう。 要は「いかに"常識"とうまく付き合っていくのか」が大切です。 しかし、われわれは"常識"という思い込みにとらわれているのが楽であるのも、これまた本質です。 "常識"と思えばそこで思考を止めることができますから・・・

 "常識"は大辞林ではどう説明されているのでしょうか。

 『常識:ある社会で、人々の間で広く承認され、当然もっているはずの知識や判断力。』とあります。 では、"当然"はどうでしょうか。

 『当然:道理の上から考えて、そうなるのがあたりまえであること。だれがどう考えても、もっともであること。また、そのさま。』

 では、"道理"は? (着物を着ているときに履くもの→ゾウリ、首相→ソウリ、日比谷公園の近くの道路→日比谷ドオリ、ごめんなさい→I'm ソーリー、 と研修では連発し不評を買っています。)

 『①物事がそうあるべきすじみち。ことわり。わけ ②人の行うべき正しい道。』

 結局、人の道を外さない範囲での"多数決"でしかないということです。 この大勢に従うことは安心です。 人がここから離れることは結構難しい。 "常識"に嵌まり込んでいることにも気付きにくい。 多くの人が知らずうちに縛られている"見えない力"なのでしょう。 しかし、今の時代はここから抜け出すことが求められている。 やっかいです。

 「藤井聡太四段の29連勝」と「AlphaGo(アルファ碁)の"セルフ対局"」は、この"見えない力"から抜け出すことの大切さと抜け出すためのヒントをくれたのかもしれません。

 「抜け出すことの大切さ」は、ずばり「"定石"を無視したときの強さ」そのものです。 先に述べた"常識にとらわれる"ことが当たり前、すなわち"常識"が基準となっている社会で、「従来にない」とか「革新的な」など"新しい"という「こと」や「もの」が、絶対的に新しいかはわからないわけです。 "常識"に照らし合わせれば新しいに過ぎません。 誰もが"常識"を打ち破れば新しさを生み出せる可能性があるということです。 ただし、「"常識"を捨てろ」とか「"常識"を破れ」と言っているのではありません。 "常識"に頼るのはやめよう、ということです。 結果的に"常識"を破ることになることはあるでしょうが、"常識"を破ることを目的にするわけではありません。 "常識"に頼ることは、新しいことが浮かんでも勝手に"常識"というモノサシで測ってしまい、せっかくの可能性を捨ててしまうことになります。 そこで思考を止めることにもなります。

 では、誰もが物心ついたときから当たり前に頼ってきている"常識"からどうすれば距離を置くことが出来るのか? 人だけでは難しいのも確かです。 ここでITの登場です。

 ITは当初、人がおこなってきたことを置き換えることで存在価値を発揮してきた歴史があります。 しかし、今は置き換えられるところ(置き換えることで効果が大きいところ)は置き換え尽くしたともいえるでしょう。 では、ITの役割はどこへ行こうとしているのでしょうか? いろいろな見方がありますが、仕事で言えば「非定型業務」という人が"脳のコンピュータ"を使う領域で、"脳のコンピュータ"の性能や機能を拡張するためにITを活用する。 "ITのコンピュータ"と"脳のコンピュータ"の融合です。 最近のキーワードであるAIやビッグデータ、BI(Business Intelligence)などもこの価値を創出しているともいえます。 1980年代に工場でアーム型ロボットが広く導入され、人の能力とロボットの能力をうまく融合して「ものづくり」に飛躍的な革命を起こしたこととアナロジー的には同じでしょう。

 人が"常識"に頼り切ってなかなか距離を置くことが出来ないのであれば、"常識から離れるために"ITの力を借りる、これもありでしょう。 ちょうど藤井聡太四段がAIを活用したように。

 新しいことを生み出す発想や創造などの人間力は、ITでは置き換えられない人だけが持つ"脳のコンピュータ"のCPUです。 このCPUの能力の可能性を広げ・高め・深めるためにITを使う。 "脳のコンピュータ"と"ITのコンピュータ"の融合のひとつの姿と思えます。

 「親父ギャグ」もITの力を借りて磨くと高尚なものとして認められる? 「親父ギャグ」はすでに常識を逸脱しているので、ITが絡みようがないのでしょうね。

執筆者プロフィール

永倉 正洋

技術士(電気・電子部門)
株式会社 日立アカデミー
主幹コーディネータ
一般社団法人 人材育成と教育サービス協議会(JAMOTE)理事

日立製作所でシステムエンジニアリングの経験を経て、2009年に日立インフォメーションアカデミー(現:日立アカデミー)に移る。企画本部長兼研究開発センタ長としてIT人財育成に関する業務に従事。2011年以降、主幹コーディネータとしてIT人財に求められる意識・スキル・コンピテンシーの変化を踏まえた「人財育成のための立体的施策」立案と、 組織・事業ビジョンの浸透、意識や意欲の醸成などの講演・研修の開発・実施を担当している。

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