-"運転支援"? "自動運転"?-
2016年9月29日'ひと'とITのコラム
最近自動運転車の話題がよく目につくようになりました。現在は、自動運転といってもドライバーが必要な部分自動運転ですが、自動車メーカー各社は、最終的にドライバーが不要な完全自動運転の実用化をめざしているとのことです。私のような免許を持っていない者としては、早く安全な完全自動運転を実用化して欲しいものですが、道路交通法の整備、もしも事故が起きた時の法的責任の所在、自動運転システムへのサイバー攻撃の問題など乗り越えなければならない課題が沢山あり、果たしてその日はいつになることやら ...。
第23回のコラムからの空白期間が長くなってしまいました。 講義などが立て込んだことが表向きの理由なのですが・・・ 決して執筆時間がまったくなかったわけではないのです。 ではなぜ? 書く意欲はあったのですが書けない、いわゆる「スランプ」だったのかもしれません。 このコラムで何回か「人財育成には意識醸成ではなく意欲醸成が重要」と書いてきたのですが。「意欲があってもやらない」という状態があることを実感しました。 このやっかいな「スランプ(と呼んでいいのかもわかりませんが)」については、いつか書いてみたいと思います。
車の「自動運転」。政府が東京オリンピック・パラリンピック開催の2020年を目処に実用化をめざす、という努力目標を掲げ、産官学巻き込んだ大きな動きとなっています。 自動車業界だけでなくIT業界からの参入も活発です。
さて、この「自動運転」。 IT人財が学ぶべき多くの示唆に富んでいる気がします。
まず、本当に「自動運転」なのでしょうか? 「自動運転」という"言葉"を使っていいのでしょうか? 現在は多くの自動車メーカから「ぶつからない車」というような表現で提供されていますが、完全に「自動運転」と言っているところはありません。国土交通省のITS専門会議では「自動運転の定義」を定めています(URL:http://www.mlit.go.jp/common/001031376.pdf)。これによると「自動車(システム)の運転への関与度合い」を4つの段階に分けています。運転者(人)100%→0%に対しレベル1→レベル4で、レベル1は「ACC((Adaptive Cruise Control:定速走行・車間距離制御装置)」、衝突被害軽減ブレーキ、レーンキープアシストそれぞれ単独による運転支援で、すでに多くの車で実現されています。 レベル2は、「ACC+レーンキープアシスト」により限られた環境で自動的に運転可能で、最近搭載車が出始めています。 レベル4は、運転者の操作が一切必要としないレベルで、「自動運転」という言葉から多くの人が連想する形態です。 日本として当面めざすのはレベル3と言われていて、「オートパイロット:市街地でも手放し運転が可能であるが、システムが必要とした場合には運転者が対応する」レベルです。 すなわちレベル1からレベル3は「運転支援システムによる走行」であり、レベル4が「無人運転」となります。
「自動」という言葉、広辞苑によると『(1)自然に動くこと。自分の力で動くこと。「―扉」⇔他動。
(2)特別の手続きをしなくても自然に行われること。』とあります。 要するに人が関わらない状態をイメージさせます。ITの普及による自動化も、「人のやっていることをITで置き換える」という印象が強いです。
JAF(一般社団法人日本自動車連盟)は、35,614名の運転者を対象に、「自動ブレーキ」や「ぶつからない車」などと呼ばれているASV(先進安全自動車)への関心度・認知度・理解度に関する調査を行い、2016年5月に概要を公表しています(URL:http://www.jaf.or.jp/profile/news/file/2016_11.htm)。
調査で「自動ブレーキやぶつからない車はどんな装置か」について、正しく答えた人は54.6%でした。 誤った回答として最も多かったのは「前方の車や障害物等に対し、車が自動的にブレーキをかけて停止してくれる装置」(39.8%)、次いで「車が発進する際や走行中に、アクセルとブレーキの踏み間違いを防ぐ装置」(4.1%)、「ブレーキ操作を行わなくても良い装置」(1.3%)となっており、過信している人が多く存在していることがわかります。 また、米国で今年5月に起きた電気自動車メーカのテスラが販売している自動運転システム「オートパイロット」付きの車で"自動"運転中に死亡事故が起きました。 テスラはオートパイロットシステムを「交通状況を認識したクルーズコントロールならびに自動ステアリング機能」と定義していました。この事故では、運転者が完全な自動運転と認識し、運転中にDVDを観ていたとの報道もありました。
これらから学べることは、技術の活用を普及させる時には、如何に誤解や認識不足を起こさないようにするか、ということの大切さです。 人は期待に対し貪欲です。 一つの期待が叶うと次の期待が生まれます(だから経済活動が継続するのですが・・・)。 昔から「自動ナンチャラ」は人類の夢だったりします。 過度な期待を生み出すプロモーションは、場合によってはその技術を消滅させます。 自動運転という言葉はいったん隠し、運転支援という目的と名称を一致させることも大切なことと思います。 いまITフィールドで似た状況になりかねないのは・・・AIですかね。
自動運転から学べることは他にもあります。
みなさんは、先ほどのレベル4、ドライバーが完全に運転操作から解放される時代が来ると思われますか?
技術面では可能でしょう。 ただし、どのような前提での技術実現かが問われます。 完全な自動運転は、自動車を単体で考えてもダメで、車両側、道路側双方が連動した仕掛けが必要です。 さらにはさまざまな法令や規則、保険の対応など社会システムとしての取組も必要です(ちなみに日本の新幹線、輸出しようとしているのは車両などの単体ではなく、運行管理や法律なども含めた「新幹線システム」です)。
こう考えると、(運転支援ではなく)自動運転の安全な普及はどうすればいいのでしょうか? 答えは簡単です。ある日を境にすべての車両などを一斉に入れ替えればいいのです。 オールorナッシングですね。 自動運転でいろいろなセンサーで装備していても、周りに人が操作する車両がいる以上、完全はありえません。例えば、よくある高速道路などでの合流。センサーで車の接近は探知できますが、近づく車の運転者が譲った場合、それだけで自動運転の制御は混乱するでしょう。 譲る譲らないはあうんの呼吸が存在しますので、人すら対処は難しいわけです。この自動と人の混在する過渡期が難しいのです。今のままだとこの過渡期対応が技術のハードルを上げ、時間とコストを膨大なものにすることでしょう。
しかし、このオールorナッシングという簡単なことを社会で実現することは至難です。 ここに技術活用の普及の難しさが凝縮されていると言っても過言ではないでしょう。 そうするとよぎる思いは、「本当に完全自動運転は必要なのか」ということです。 昔から"夢"であることは間違いありません。 しかしリスク対効果を考えたときにはどうでしょう。 よく、高齢の人の移動で必要とも言われます。しかし、自動運転の技術に知恵を出すのであれば、現在のバスやタクシーの社会システムの発展で価値創出を考える方が容易なのではないでしょうか? また、近くに住む運転できる人が足を提供することもあるでしょう。 この場合、対価が受け取れないとこの仕掛けは長続きしないでしょう。 現在対価を受け取れないのは法律と保険制度の課題が大きいと言えます。旅客運送業の資格が必要となるからです。 改善のハードルは低いでしょう。
ITフィールドはどうでしょうか?
我々の身近でIT活用が始まってからまだ30年足らずです。ITフィールドの歴史は過渡期そのものです。さまざまな場面で、技術進化の課題ではなくリテラシーや法律、人口構成、社会制度などとの折り合いによる課題の方が多いとも言えます。 しかし、ITで価値を創出する人財は、このことをどこまで認識しているでしょうか? ITの黎明期はそれでも良かったと思いますが、ITが社会のインフラとして装備された現在だからこそこの過渡期という認識は絶対に忘れてはならないものでしょう。
技術活用の普及・浸透は、多様な人が混在している社会でいかに多くの人が"自然"にその恩恵の拡大・深化を実感できるようにするかが大切です。 それは技術そのものの進化よりも肝となるものでしょう。 大胆な発想と繊細な目配り、手段ではなくめざす創出価値を見失わない意識がますます求められる時代です。
技術士(電気・電子部門)
株式会社 日立アカデミー
主幹コーディネータ
一般社団法人 人材育成と教育サービス協議会(JAMOTE)理事
日立製作所でシステムエンジニアリングの経験を経て、2009年に日立インフォメーションアカデミー(現:日立アカデミー)に移る。企画本部長兼研究開発センタ長としてIT人財育成に関する業務に従事。2011年以降、主幹コーディネータとしてIT人財に求められる意識・スキル・コンピテンシーの変化を踏まえた「人財育成のための立体的施策」立案と、 組織・事業ビジョンの浸透、意識や意欲の醸成などの講演・研修の開発・実施を担当している。
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